キジのヒナがかえった


 アヤ子さんが自転車を降りて、庭に入ってきた。
 「キジがかえったよ」
 「えーっ、ヒナがかえったーっ?」
 もうあきらめていたヒナ情報だ。日が経ちすぎ、何も連絡がないから、ヒナがかえらなかったのだと、すっかりそう思って、キジのことは過去のものになっていた。そこへ、突然、アヤ子さんの早飛脚がやってきた。
「わあ、奇跡だあ」
「佐々木さんとこで、今見てきたのよ。ヒナ、かわいいよ。13個の卵があったでしょ。10個ヒナがかえり、そのうち二羽のヒナが死んで、今8羽いるよ。ダンボール箱のなかで、佐々木さんが白熱電球を箱に入れて、ずーと温めたら、かえったんだねえ」
 これは見に行かなくちゃ、へーっ、へーっとぼくは叫んでいた。
 あの日、佐々木さんは卵13個を持って帰った。初めての試みだと言った。それを成功させたのだから、これはすごい。
 アヤ子さんは、これからこのヒナたちをどうするか、これが問題だという。そのまま育てるのは大変だ。
アヤ子さんの早飛脚が帰ったあと、今度はノラネコ騒動が発生した。一週間ほど前、ノラが子どもを産んで、5匹の子ネコを母ネコは一生懸命育てていた。母ネコが子ネコを1匹ずつ口でくわえて、安全なところを探して移動していたのを目撃したが、一度我が家の工房の床に入りこんでいたことがあった。そこからもっと安心できる場所を求めてタマネギ畑のなかを引越し、御近所のKさんの家に移動してから、また引越してお隣のミヨ子さんの軒先に群れて遊んでいた。そのときは親が捕まえてきた小鳥を、茶色の子ネコが独占して食べていた。それから一家の姿が見えなくなった。
 昨夕9時ごろ、ミヨ子さんの飼っているマミが変な吠え方をしている。脅すような、困ったような、間をおいて吠える声がして、それを聞いたミヨ子さんが犬小屋に行った。たまたまぼくはランのおしっこをさせるために外に出たところだった。ミヨ子さんが前の道に出てきた。
 「どうしたんですか」
 声をかけると、
 「困っただ、ノラがマミの犬小屋を占拠しているだ。子ネコ連れて」
 「えーっ、マミはよう追い出さないの?」
 自分より大きな犬にでも攻撃する気の強いマミが、ノラネコ一家に住居を乗っ取られるなんて考えられないよ。
 「昨夜もだよ。マミは吠えてばかり、私は寝られなくて、マミを家の中に入れたのよ」
 そう言えばマミは昨晩よく吠えていた。そして今また、ノラの占拠が起こっている。なんとかならないかねえ、とミヨ子さんはぼくに出動を頼みたい口ぶりだ。
 でもぼくは出動したくない。ぼくには、後ろめたさがある。工房の床に一家がいるとき、ぼくは追い出したいという思いがあった。見に行くとノラ母は口を開けて牙を見せ、威嚇する。子どもを守る母は強い。それに応えて、ぼくも口を開けてノラ母と同じように、カ−ッと言ってみた。それが功を奏したのか、ノラは移動していった。
 その日テレビを見ると、ヨーロッパの街で野良猫に餌を与えている人を放送していた。えらい違いだな、さまよえる哀れなネコ一家に宿も提供できないとは、ひどいもんだ。自分の了見の狭さを悔いた。ぼくの後ろめたさというのはそうして湧いてきた。だからミヨ子さんの願望は受け入れられず、ぼくは家に引っ込んだというわけだ。
 今朝、ミヨ子さん、
 「二晩も、マミを家に入れただ。そうしないと、眠れないよ。睡眠不足になるよ、吠えて吠えて」
 その後、ノラ一家は、またさまよっている。誇り高きノラ母は、自分で子どもを育てようと献身的だ。同じく誇り高きキジ母は、キツネにやられてしまい、人間が8羽のヒナを救った。

 「キジのヒナ、見に行こう」
 カメラを持って、朝出かけた。佐々木さんの家に行くと、古民家のなかには佐々木さんの作品がたくさん陳列してある。ほとんど山岳の絵だ。ヒマラヤの絵、北アルプスの絵、奈良の薬師寺と桜の絵もあった。日本画の顔料で描かれている。なかなかいい絵だ。佐々木さんはヒマラヤにも行ったのだ。
 常念岳の頂上に、満月が沈んでいく絵があった。一年のうちのたった一回のその瞬間を目撃しての作だと、佐々木さんは自慢そうだ。
 座敷に置かれたダンボール箱にヒナたちはいた。やっぱり佐々木さんが親だと思うらしく、佐々木さんが行くと箱をよじのぼって出ようとするらしい。ヒナの体の毛並みは、薄茶と茶色の縦じま模様になっていて、イノシシのウリ坊に似ている。白熱電球が一個まだ点いていて、体が冷えるとそこにやってくる。鶏のヒヨコと同じ、卵からかえったときは、もうこの産毛だった。
 「これから、このヒナをどこか受け入れてくれるところを探さなけりゃ」
と佐々木さん。
 佐々木さんの家から帰ってきて、畑に出かけ、クルミの家のおじさんに会った。山羊や七面鳥を今も飼っているおじさんだから、キジのことを聴いてみた。
 「私も一度、キジのヒナを飼っただよ。キジは気が強いでね。大きくなってくると兄弟で闘争するだ。けんかして、もうそれで飼うことはやめましたよ」
ということだった。野生動物だ。10数個の卵がかえっても、生き残って親鳥になるのは2、3羽だというから、生き残れる力を持つものだけが生き残るということなのかと合点した。
 キジの子の保護者探し、佐々木さんよろしく。