ニホンオオカミのこと



八木博さんからコメントで、台高山脈で体験したことをもっと知りたいということでした。
返事を書きましたが、
以前、このブログの「山の学校 森の学校」にも次のように書いたことがあります。


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矢田中学校登山部で、台高山脈高見山から国見山まで縦走したときのことだった。
二泊三日の登山だった。
二日目、高見山から尾根道を行く。
先頭を行くぼくの後から、十数人の子どもたちが続く。
とつぜん右側のブッシュから黒い粒々が空に舞い上がった。
見る間に、その黒点の数は増えて、頭上を覆い、唸り声をあげた。
「蜂だ、伏せろ。」
ぼくは大声で全員に叫んだ。
瞬間子どもたちは、荷物を背負ったまま、狭い尾根道に腹ばいになった。
ミツバチの大群は、上空を真っ黒にして飛んでいたが、やがて尾根の向うに姿を消した。
あわてた生徒一人が足を岩に打ち付けて怪我をした。
だが、蜂による被害はなかった。
大台ケ原に続く尾根道を行き、
国見山から明神平に入る。
尾根上に広がる草原、
そこが二泊目のキャンプ地だった。
谷間まで下って水を汲み、飯盒で飯を作って夕飯を済ませた頃から、
辺りに霧が立ち込め始めた。
霧はみるみる濃くなった。
日が暮れても、霧の勢いはやまない。
どっぷり暮れ、たちこめる濃霧に闇は深い。
八時を過ぎたころからだった。
動物の鳴き声がこだまし始めた。
その声は、鹿のようにも、サルのようにも、キツネのようにも思える。
皆目見当のつかない甲高い鋭い鳴き声は一匹ではない。
数匹が鳴き交わす。
声は霧の中を、テントの間近まで襲撃するかのように迫ってくる。
生徒たちは、おびえながらも正体を見ようとテントから出て、懐中電灯を照らすが、
濃霧にさえぎられて、光は届かない。
声のする方へ霧の中を近づいていこうとしても、
不審な動物は、右に左に移動する。
明治の終わりごろ、ニホンオオカミの最後の一頭が猟師によって捕らえられたのは、
この山系だった、と生徒たちに話す。
十時ごろやっと声が消えた。
興奮さめやらぬ生徒たちが寝についたのはそれからだった。
謎は解けなかった。


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その時の声は、濃霧の中すぐ間近まで迫って聞こえました。
姿は見えず、しかし声は近い。
包囲されているようにも感じたし、
霧の中を自由に移動して、
仲間と声を交わしているようにも、思えました。
奈良公園で聞く鹿の声に似ているが、それほど単調ではなく、
鳴き声は甲高く大きく、長く引っ張って尻上がりに高くなります。
サルはこんなに鳴き声を引っ張らない、
キツネはこんなに長くはないし、人間に無警戒ではない。
その鳴き声は、
キョォーーウォーーン
というように聞こえました。
オオカミのハウル(遠吠え)は、「ウォォーーーン」というような感じのようでしたが、そうだとしたら、
すこし違います。


それはまことに不思議な体験でした。


ニホンオオカミはこの山系で最後の一頭が殺されました。
そのオオカミたちの魂が、
濃霧の夜に現れたのかもしれません。


私は種が絶滅するときの最後の個体に思いを馳せます。
彼らはどんな思いだったろうか、
と想像します。
個体が死ぬときの思いだけでなく、
種が絶滅するときの底知れない絶望。
最後の生き残りのオオカミたちの孤独は、計り知れないものがあったでしょう。
何万年、何百万年、何億年、祖先から続いてきた種の命の連続が、
その一頭で滅びることになる、
悲しみの深さは心を切り裂きます。


あのときの声は、ひょっとしたらニホンオオカミの悲しみの声、魂の声だったのかもしれません。