日本の戦争を終わらせた人々、資料による歴史教育<1>

 <人間はたとえ間違ったことであっても、それを繰り返し耳にしていると、いつの間にかそれが真実にそのように聞こえて来、やがてそれ以外は一切間違っているかのような錯覚にとらわれてしまうものだ。
 日清・日露の両戦役以来、日本人は大陸政策というものを唱え、「血によってあがなった特殊権益」とか「大陸には一切の資源がある」ような妄想にとりつかれてしまった。日本は島国であり、資源の少ない国であるから、まことに無理からぬ話であるが、その大陸を手に入れるためには一切の没道義なことを平然として行ない、「大陸さえ手に入れれば世界を相手にして戦争できる」ような誇大妄想的な考え方に転落していった。
 そういう空気は明治末期から、大正、昭和を通じて、満州事変勃発ころには頂点に達し、東洋の盟主ということを自ら唱えるようになった。まことに救われない道義的転落である。
 しかもこれに対して冷静な批判をし、世界情勢を説くものは、非愛国者のように取り扱われ、ついに侵略政策を談じ、日本の古典を談ずる以外には、すべての思想を禁圧する勢いにまで発展していった。
 世には、曲学阿世がはびこり、御用学者、御用事業家、画一的統制主義者が横行して、日本国中が天狗の寄り合い世帯みたいになってしまった。ある軍人などは、「満州には、金が出る、油が出る、なんでも資源がある」などと吹聴しておったが、出たものは石炭と鉄だけだった。
 こうした国家的物欲がこうじて、ついに魔がさしたとでも言おうか、世界を相手にするとんでもない戦争を始めてしまった。だが、これは国家の宿命だったかもしれない。もう近年になっては、これを事前に止めるなどということは、どんな政治家が出ても不可能だったかもしれない。
 そして、今日の敗戦になったのである。これは日本の近代史の御破算だと思う。だからこれからは一歩一歩正しい世論に従って国の復活を進めてゆかねばならないと思う。>

 この文章は鈴木貫太郎の文章である。鈴木貫太郎は敗戦の年、1945年4月から内閣総理大臣をつとめ、8月15日の天皇による戦争終結玉音放送」後に辞職した。
 仮説実験授業研究会で研究と実践をすすめてきた、東京都の中学教師、中 一夫氏は、古本屋で一冊の古本を見つけた。その本は、「鈴木貫太郎述『(月刊労働文化別冊)終戦の表情』労働文化社 1946.8.1」であった。戦後1年もたたないとき、紙も乏しい中で出版された薄っぺらな黄ばんだ本、そこに終戦当時の首相、鈴木貫太郎の実際の姿があった。中一夫氏は、この本を読んでいくにつれ目を釘付けにされた。ポツダム宣言を受諾して戦争が終わるまでの生々しいドラマがそこに語られていた。「一億玉砕」を唱え、徹底抗戦することを主張していた軍部の力を抑えて終戦にもっていく、きわめて危険な難しい局面を乗り越えていった人たち、そこに鈴木貫太郎がいた。
 中一夫氏は、日本の歴史教育が全く教えていないこと、日本人の多くが知らないでいること、すなわち日本が滅亡の瀬戸際にあって、そこからいかにして戦争終結にいたったか、それを資料をもとに科学した。その本が、「日本の戦争を終わらせた人々 軍人たちの戦争と平和」(ほのぼの出版・仮説社発売)である。サブタイトルに「いま伝えたい、終戦の真実、日本を破滅から救った人々の物語」とある。
 1961年に仮説実験授業を提唱し、全国に研究と実践を広げ、積み上げた板倉聖宣の研究会で、中氏は活動してきた。
 子どもたちは、いろいろな資料をもとに、自分の頭で考え、みんなで討論し、ほんとうのことを知っていく、授業をそういう学びの場にしていく、それが仮説実験授業であり、そのことが、民主主義をつくっていく力になるのだと痛感させられる。
 中一夫氏は、「板倉聖宣セレクション いま、民主主義とは」(仮説社)の編集をもしている。