突然電話が鳴った。
「アキです」
おっさんのような、若者のような、男の朴訥そうな声だ。それを聞いて、直感。あのアキだ。
「おう、アキー」
「はい、覚えてますか」
分かった。31年ぶりの声だ。これまで、思い浮かべることはほとんどなかったアキ。声を聞いたとたんに、記憶に残っているアキが立ち上がってきた。明秀、学校では「アキー」と、呼んでいた。
「せんせ、長野へ行ってると聞いたけど、そこどこ?」
「安曇野や」
「ああ、そこ通るよ」
大型トラックを運転して、高速道路の長野道をときどき走る。仕事は配送をしている。途中にインターチェンジ安曇野がある。
「弟に聞いたんや。せんせの電話も。この前、弟らの学年、同窓会したやろ。ほんで、弟が俺にせんせいに電話しいや、言うとってん。せやけど電話せんかったら、電話したかあとまた言いよったから、電話したんや」
「ああー、あの同窓会なあ、アキの弟と会うたでえ。兄貴のこと言うとったなあ」
「弟、同窓会から帰ってきて、よっさん来てたでえ、言うて、せんせの電話教えてくれたんや」
アキの声には柔らかみと穏やかさがあった。中学校を卒業して29年、彼は今44歳、この年月、どのように生きてきたか、ぼくは知らない。知らないが、その声は親しみのある柔らかい声だったから、感じるものがある。
「今、どこから電話してるんや?」
「東名高速の沼津のドライブインですわ。トラックに燃料入れてますねん」
東京から大阪へ帰る途中で、ぼくに電話することを思い出したのだ。
29年間、全く消息なしだったから、あのときの教え子たちの名前もわずかしか思い出せない。しかし、アキと話していると、アキを受け持った一年生の時のクラスが頭によみがえってきた。
そのクラスには猛烈なワンパク連中がぞろぞろいた。アキもその一人だった。そこへもってきて、型破りの個性の持ち主、ホリ君がいた。脳性まひの後遺症をもつマモル君と、知的障害のあるサトル君もいた。
「ホリは今どうしてるんかなあ。一度スーパーの前でガードマンをやってるのを見たことあったでえ」
「ホリ君は、ときどき見ますよ」
ホリ君は、疑問が生まれたら、すぐさま口に出して発言する。思いがたまると、主張して止まらない。それがもとでよく友だちとトラブルになった。いじめられることもあった。昼休みの運動場の朝礼台に上がってひとりで勝手に演説していたこともある。
マモル君には歩行障害、知的障害、言語障害があった。しかしチャレンジ精神は旺盛で、実によく努力する。泳げないけれど水泳大会のクラス対抗に自ら進んで出場し、プールの中を歩いてビリっけつでゴールを目指した。途中水の中に沈みかけ、用意していたぼくはすぐさま飛び込んで引き上げたこともあった。マモルとサトルは仲がよく、その友情はすばらしかった。サトルの親は沖縄から大阪に移住してきた。サトルは野球が好きだった。学校が終わると空き地で近所の子らと野球をしていた。
「きょうは、マモル君のために、ホームランをうちました」
サトルの日記にそんな文があった。
ワンパク連は、次がぼくの授業だとなると、始まりのチャイムが鳴ると同時に、教室から何人かが職員室めがけてダッシュしてきて、教室へ向かうぼくとかちあうと、ダッシュして教室に逃げ帰ってゆく。ぼくはその後を、恐ろしげな声を発して追いかける。それを彼らは楽しんでいた。
学校の中の秘密の場所で、鶏をこっそり飼ったのも、このクラスだった。その鶏は、ある日、こつぜんと姿を消した。
アキからの電話で、あのころの生徒たちの消息について、少し知ることができた。
「今度、大阪に行くことがあったら、会いたいなあ」
「うん、せんせ来たら、みんな集めるで」
「会いたい、会いたい。よう電話してくれた。ありがとう」
今度いつ大阪へ行けるだろうか。