ひたすら無念


 今朝は霧が深かった。犀川に発生する川霧が野を覆う。ランと歩いていくとランの黒いしっぽに霧の水滴がついて白くなる。霧の向こうでランを見つけた小学生の女の子三人が、十字路で立ち止まって、
 「ランちゃんだあ、ランちゃーん」
と叫んでいる。声を聞いてランがぐんぐん引っぱる。ランが追いつくと、女の子たちは「かわいい、かわいい」と背中をなでた。
 「しっぽがしろいよー」
 「霧だねえ。寒くなってきたねえ」
 「うん、さむい」
 一人は手袋をしているが、二人はしていない。
 7時の鐘の音が聞こえた。途中で3人と別れて家に帰った。
 今日の朝食は蒸かしシモン芋に温野菜、そしてヨーグルト。
 先週、水道使用量を測るメーター検針に来た人が、針が動いているから水道管のどこかで水漏れがあるのではないか、と伝えて帰った。見えない地下の水道管から水が漏れているという。やっかいなことになった。
 昨日、8年前に工事をしてくれた二軒の業者に連絡をとったが、電話がつながらない。一軒のYさんは呼び出し音が鳴っているが電話に出ない。個人経営だから電話の取次ぎをしている奥さんが部屋にいないようだ。もう一軒のKさんは、電話局の「その電話番号は使われておりません」という返答だった。どうしたんだろう。不安感がよぎった。経営がつぶれたのだろうか。
 8年前、会社に勤務していたKさんは工事担当で来て、ボイラー、暖房関係を指揮って、親切に誠意ある態度で仕事をしてくれた。ぼくはすっかり信頼し親近感もわいた。のんびりした性格で、ほのぼのユーモアが感じられる人柄が楽しかった。
 「Kでーす」
 「でーす」と、伸びた低い声が玄関で聞こえると、すぐKさんだと分かった。
 ぼくはときどき家の中で、
 「Kでーす」
と声色をつかうと、洋子はKさんを思い浮かべて笑う。
 その後4年ほどしてKさんは、会社を退職して独立した。定年退職なのかよく分からなかった。退職したKさんは一人経営の事務所を開いていた。そのころぼくは自力で工房を建て、工房に水道を引き、トイレに便器も設置しようとしていたから、工事はYさんとKさんに頼むことにした。良心的な二人の仕事で工事は申し分なく完了した。そのとき、Kさんの仕事は細々としたもので、宣伝もなく、知られることもなく、依頼者はきわめて限定されているように思われた。この人の良心的な仕事を、大工の大ちゃんや、大工のケイ太君に知らせて、若い彼らの建築工事の請負の中に入れてもらえないかなと思いながら、結局それをやらないままに今日に至ってしまった。
 水漏れがあるのではないか、そのことを知ったとき、Kさんが頭に浮かんだ。Kさんに相談してみよう。そして電話したのだが、Kさんの電話は使われていなかった。経営不振、倒産、何かがある。
 今日、Yさんと電話が通じた。水漏れの調査には来てもらえることになった。水漏れの件が終わってからKさんのことをたずねてみた。
 「Kさんは、亡くなりました」
 Yさんの声は沈んでいた。
 「えーっ、どうしたんですか。病気ですか」
 答える声はさらに沈んだ。自ら命を絶ったのだと。
 なんということか。
 「無念です」
 愕然とするぼくにYさんの声、
 「無念です」
 ぼくは「Kでーす」の声を思い出しながら、現代社会の暗闇を思った。