「経験」の継承を忘れた人たち

 終戦直後に大流行した「リンゴの唄」という歌があった。

    赤いりんごに
    くちびる寄せて
    黙って見ている 青い空
   リンゴは何にも 言わないけれど
   リンゴの気持ちは よくわかる
   リンゴ かわいや
    かわいや リンゴ

 敗戦後の日本で最初に作られた映画『そよかぜ』の挿入歌であった。映画は、1945年〈昭和20〉10月10日公開、なんと戦争終結から2ヶ月足らずである。作詞はサトウハチロー。作曲は万城目正。歌は並木路子
 サトウハチローが作詞したのは戦時中であったが、「軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。戦時中は勇ましくなければだめ、心優しい歌はだめだとされた。
 この歌は空前の大ヒットとなった。大人も子どもも歌った。歌は、空爆、本土決戦と、追いつめられる戦時の重圧からの解放感と合わさり、傷つき憔悴しきった国民の心をいやした。
 そして50年たって1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。被災地は大空襲の焼け跡を思い起こさせた。そのとき、並木路子は神戸市長田区へ慰問に訪れ、避難所となった学校の校庭の仮設ステージでこの曲を歌った。並木路子は2001年に亡くなった。79歳だった。

 破壊と焼土のなかで人々が歌った歌、どうしてこのような歌が、絶望に打ちひしがれた生活状況のなかで、歌われたのだろうか。
 戦争が終わったとき、家を焼かれ、家族を失い、食べるものはなく、どんぞこの状態に置かれた人々ではあった。しかし一方で「青い空」を感じていた。死んでいった者たちへの悲しみや喪失感は大きく、戦争を引き起こした者たちへの怒りや批判も胸中にあったが、同時に不思議な明るさを感じていた。瓦解と喪失による虚無感が心にぽっかり穴を開けていたけれど、心の中には、自由感、解放感があった。そのことについて、興味ある論を書いているのが、宇野重規(政治哲学 東大教授)だった。
 「崩壊と没落のなかで、ある種の原初的な自由の回復がある、大震災後に話題となったレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』に通じるもの。」
 巨大災害の後に、人々が手を差し伸べ合う、阪神大震災東日本大震災でも出現した眼を見張る救援活動もそうだった。
 宇野重規は「民主主義のつくり方」(筑摩書房)のなかで、精神史の世界を開拓した藤田省三の論をもとに述べている。
 戦後の経験には、国家(機構)の没落が、不思議にも明るさを含んでいるという発見があった。戦時体制の終焉による解放感、憲兵特高が消えた。「本土決戦」「一億玉砕」「一億総特攻」と叫んで、竹やりでゲリラ戦法を強いる軍国主義の指導者、軍部の独裁体制が打ち払われた。重圧が取り除かれた瞬間に、頭上にぽっかり青い空が開いていた。
「焼き払われた惨状のなかに、どこかアッケラカンとした原始的ながらんどうの自由が感じられたように、すべての面で悲惨が、ある前向きの広がりを含み、欠乏がかえって、空想のリアリティを促進し、不安定な混沌が、逆にコスモス(秩序)の想像力を内に含んでいた。」
 浮浪児、パンパンガール、植民地国人などなど、受難の体現者にこそ、戦後の核心的経験の結晶を見て取った。
 敗戦直後の「欠乏」「混沌」のなかに、原初的自由と民主主義を経験した日本人、だがその経験は、高度経済成長のなかで風化し、根こそぎにされていったのではないか。そうであるなら日本の民主主義を建て直すには、戦前の全体主義の時代経験と、敗戦直後にあった「経験」を今一度想起すべきではないか、と藤田は考察する。
 「経験を喪失することは、人間性に対する重大な危機であり、経験が完全に固定化し、『化石化』したとき、人間は環境との接触を失い、世界から孤立してしまう。」
 恐ろしい重みを持った言葉である。現代、進行する「経験」の消滅への危機意識である。ここで言う「経験」は人間の根源的な「経験」である。
 では、今私たちの「根源的な経験」は、どう生き残り、どのように受け継がれていこうとしているのだろうか。
 安倍総理、そして政治家、日本国家のリーダーのなかに、この「経験」はどのように息づいているのだろうか。