霧と氷の朝の登校


 今朝は濃霧が長く続いた。5時台、6時台の朝早い段階では、ライトをつけている車が多い。だが、9時ごろになると、まだ霧は視界をさえぎっているのに、空の明るさで判断するのだろうか、ライトをつけない車がほとんどになった。車のライトは運転するものが進行方向を見るためのものだという自己本位だけの認識になると、ドライバーは前方が見えていると思えばライトを消してしまう。霧の中でライトをつけるのは前方を見るためだけでなく、もう一つの理由、自分の車を他者に知らせる、気づいてもらうためでもある。午前8時や9時のときも、ライトをつけていると、霧の中からライトの丸い明かりが浮かんできて、車が来たなと分かる。ところが今朝の体験では、ライトをつけない車がほとんどなのだ。車だけでなく歩行者が道路を横断する。歩行者の中には小学生もいる。高齢者もいる。耳や目の働きが充分でない人もいる。ライトをつけていない車が霧の中から近づいている場合、それはなかなか気づきにくい。分からない場合がある。霧の中でライトを消しているドライバーは、そういう他者に対する認識がどこかへ跳んでしまっているのである。知識として知ってはいても、意識していないのだ。
 夕方薄暗くなったとき、早くライトをつけるのも、自己の存在をアピールする意味がある。自分の眼はよく見えているから、ライトをつけなくてもよいというのは、半端な自己本位の考え方だ。自分にとって都合のよいようにという意識と、他者に都合のよいようにという意識、その両方があって、ものごとはうまく行く。
 信号機のないところで、右折して脇道に入りたい。自分の走ってきた道も、対向車線の道も、車が続いている。方向指示器を出し、右折を知らせて、対向車線の車が途切れるのを待つ。ところが対向車線の車は次から次へとやってきて、なかなか右折できない。こちらの車が動けないから、後ろの車も止まって待っている。こういう時、後ろにいる人はいらいらする。こんなところで右折なんかするなという思いが湧いたりする。対向車線の車列は続き、時間が過ぎていく。後ろの車の列が長くなる。
 そうなりやすい右折のとき、対向車線の一台が早々と気をきかせてに、止まってくれることがある。チカッとライトをつけて、「どうぞ」と知らせてくれる。「御親切にどうもありがとう」と頭を下げて、こちらは右折する。相手の車が止まるのはわずかな時間だ。右折の一台が通過すれば、譲った車は前の車にすぐ追いつける。その一台が譲ってくれて待たずに右折でき、自分の車の後ろにいたたくさんの車がストップせずにすんだ。
 このささやかな気をきかす行為は、譲ることの小さな親切のありがた味を人にもたらす。そこでぼくも、気がつけば対向車線の一台が右折のウインカーを出していたら、いったん停止して「どうぞ」とライトで知らせることにしている。
 人があえて意識せずとも考えなくても、機械的に決められた動きをするように交通規則がある。「赤信号なら止まれ」と縛る。そういう法で縛るのでなく、自主性、自己判断でやっていくやり方。この後者がどれだけ社会の中で実行されているか、それが、その社会の文化の高さ豊かさを示すバロメーターになる。
 電車の車両の前や後ろの座席に、妊婦、赤ちゃんづれ、高齢者、障害を持つ人、体の状態のよくない人などが座れるシートが準備されている。そこはその人たちの座席だと決めているわけではない。が、保護を必要とする人たちが座れるチャンスを増やそうとして用意されている。本来このような指定などなく、すべての席のどの席であっても、保護を必要とする人が譲られて座れる電車こそが、文化度の高い社会だ。
 めったやたらと規則をつくり、法律で縛らねばならない社会は、ずいぶん質の低い社会だと言わねばならない。

 今朝は農業用水路の新堀に氷も張っていた。登校する小学生の男の子、畑の中からストックのようなものを見つけだし、一人はそれを手にして歩く。別の男の子は、畑のトンネル栽培のアーチに使う棒を拾ってぐにゃぐにゃ動かして歩く。新堀堰に来ると、小石を投げて遊び出した。川面に向けてやや平行に小石を投げる。石は氷の上をピュルンピュルンと跳ねながら滑り跳んでいく。ぼくも子どものころよくやった。池の氷上に小石を下手投げでバウンドさせて遠くへ飛ばす。小石はどこまで飛んで行ったか勝負する。
 男の子たちは草の道を行く。男の子は忍者になった。黒い影になって子どもたちは、桜並木の下を霧に中に消えていった。