[現代社会] 暴走車

赤信号を無視して、暴走してくる車がある。
交差点の手前、数十メートルほどの所を交差点に向かってぼくは歩いていた。
暴走車は、反対車線に赤信号で停止している二台の車の横をかすめて、交差点を横切り、ぼくの横を通りすぎていく。
このけしからんやつめ、
ぼくの思いが行動に出た。
ぼくは車を運転している若者をねめつけていた。
車はぼくの背後に走り去った。
と思ったら、声が聞こえてきた。
「なんじゃあ、こらあ」
威圧的な声だった。
声が届いたその瞬間は理解できなかった。
こちらを向いて怒鳴っている、と感じるのに1,2秒かかった。
オレに言ってるな。
そう感じ取ると、体に警戒感が流れた。
信号無視の暴走を、とがめられたと、あの男は感じて、むかっ腹がたったか。
そこは、四つ角のひとつの側が看護大学のキャンパスになっていて、
残りの三方は田んぼになっている。
ぼくはせっせと歩いていた。
その日の労働の疲れをいやすために、
運動を兼ねて、田んぼの中の大型スーパーに向かっていたのだ。
男は車を止めて、窓から怒鳴っているらしい。
ぼくは後ろを振り向かなかった。
背中の感覚は、するどく背後の危険を感知しようとしていた。
ぼくの体は、ひょっとしたら迫ってくるかもしれない危険に対処しようと、身構えていた。
車の少ない田舎町だ。
Uターンしてくるかもしれない。
背中の神経は、きびすをかえしてやってくるかもしれない車の音を聞きとろうとしていた。
歩道と車道の境に、車止めのコンクリートがある。
それを越えて車で襲ってくることはないだろう。
が、こちらが交差点に入った時に、車で襲うかもしれない。
そうなったらあぶない。
全身の神経が鋭くなった。
しかし、背後から音は聞こえなかった。
立ち去ったかもしれない。
それでも、しばらく危険対策は取っておこう。
コースを田んぼのあぜ道に取った。
田んぼの中だったら、車で入れない。
田んぼ道を通って、ショッピングセンターに着いて、やっと安堵した。


しばらく店にいた。
そこで、しまったと思った。
車のナンバーを見ていなかった。。
あの車の男、あのまま行ってしまったが、事故を起こすかもしれない。
何か犯罪に関係しているかもしれん。
通報だけでもしておこう。
しかし、ぼくは携帯電話なるものを持っていない。
公衆電話ででも通報しておこうか。
それも見つからなかった。
宿舎に帰って電話をしたのは、目撃してから50分も経過していた。
警察の係官は、車の車種を訊ねたが、それもよく見ていなかった。
「こんな通報は何の役にも立たないでしょうが、
一つの情報として届けておけば、何かに関連して役立つこともあるかもしれませんから。」
と言うと、
「ありがとうございます、よく届けてくれました。」
と、警官の声は若かった。
こんなときはどうするといいか、
車の運転手をねめつけるのではなく、車種やナンバーをしっかり見ておくことだ、
ひとつの体験から得たひとつの反省と発見だった。