型破りの子ども<2>

 幸弘さん夫婦には子どもが6人いた。幸弘さんは中学を卒業してから全国を放浪し、京都の山に入って林業にたずさわった。三重の山で暮らしたときは谷川の水を引いて生活用電気を起こした。自然のなかで暮らした子どもたちはたくましく野性味たっぷりに育った。
 上の娘サトコが南米ボリビアに、JICA青年海外協力隊員として派遣されたのは2002年だった。2年の任期が終わってからも、サトコは現地に残って現地のために活動をつづけた。
 一昨日、幸弘さんから電話がかかってきた。
 「来年のカレンダーをつくったんや。活動を支援するための資金作りや」
 サトコはボリビア現地の農村にエコトイレの設置をやってきたが、さらにゴミのリサイクルプロジェクトを始めているから資金を作りたいと言う。
 彼女の行ったボリビアの山の村にはトイレがなかった。用を足すのは畑だった。川の水が汚染され、感染症による乳児の死亡率が高かった。彼女はトイレを造ろうと決意し、し尿を堆肥にする循環トイレを野外につくる活動をはじめた。電話ボックスほどの小さなトイレだ。このプロジェクトが現地政府にも歓迎され、協力者もできて何百基かに増えていった。サトコは活動を通じて親しくなった現地人と結婚して3人の子どもが生まれた。日本にいる幸弘さんはサトコの活動を支援する輪をひろげ、2011年にNPO法人DIFARを立ち上げている。
 栄養改善、衛生状態の改善、生ゴミの堆肥化システムづくり、ゴミのリサイクル、持続可能な農業の推進、今ではボリビアにとってなくてはならない貴重な活動に育っている。
 これからの活動として画いているのは、リサイクルセンターを建設し、学校や地域での環境教育の実施、戸別訪問をして生ゴミの堆肥化の指導をする、生ゴミ収集車を購入することなどである。夢がどんどん増え、やり甲斐がますます募っていく。
 ボリビアは南米の真ん中に位置する、日本の約3倍の面積を持つ国で、36以上の異なる民族が暮らしている多民族国家だ。アンデス山脈アマゾン川もこの国を通っている。人びとは歌や踊りが好きで、地域の伝統を大切にしながら家族みんな協力し合って暮らしている。しかし地方の暮らしはまだまだ多くの課題がある。保健衛生は不十分で、森林を焼き払って農場・牧場を営むところが多く、毎年山火事で多くの森林が失われている。
 NPO法人DIFARが来年用に作ったカレンダーは、ボリビアの写真が12枚入っている。1部500円で購入してもらい、収益をこれからのプロジェクトに使いたい。
 「それじゃあ、20部まず送ってくれるかい」
 20部だったら、協力してくれる人がいるだろう。日本語教室のスタッフ、地元の村のコーラス、主旨をお話すれば、20部はまず大丈夫だろう。
 型破りで言えば、次女もたくましい子だった。次女は沖縄で活動している。やはり現地の人と結婚した。ボートの先端にゆわえたロープを口にくわえ、泳ぎながら人を乗せたボートを引いていったという武勇伝を聞いたことがある。
 1998年、「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」というメッセージを発信した喜納昌吉の「白船計画」に賛同し、沖縄から聖なるランニングのメンバーになって本州を縦断、アメリカに渡ると国連本部を訪問、国連事務総長代理に平和を願う約1万5000人の署名とメッセージを渡す、その活動にも参加した。さらに「イロコイ連邦(オンタリオ湖南岸に広がる先住民居留地)」を訪れた。イロコイ連邦の人々は、沖縄を『独立国』として迎えている。
 親も超型破り、息子娘も型破り、型破りな人間が困難なプロジェクトに果敢に挑戦している。
 申し込んで翌日の昨日、カレンダー20部が送られてきた。ボリビアを感じるいいカレンダーだった。