世界トイレ事情


 ボリビアの村ではトイレがなかったから、サトコはトイレ建設を始めたことを書いたが、今日の新聞の「ザ・コラム」に、インドのトイレ事情が特派員記事で載っていた。インドでは、今もトイレが普及していないそうだ。国連は今年、11月19日を「世界トイレの日」に定めた。トイレのない場所で排泄せざるを得ない人々を減らし、公衆衛生を向上させようという趣旨で。
 適切なトイレがあれば毎年20万人の子どもの命が救える、世界では25億人が、暮らしの中にトイレがなく、11億人が野外で排泄している、そのうちの6割がインドに集中する、という。
 筆者は、国際報道部の機動特派員の柴田直治氏。柴田氏が学生だったときの体験談は恐ろしい。1977年、インドのアグラヘデリーからバスで向かった。途中の休憩タイムにトイレに行こうとしたがトイレがない。仕方なく薮に飛び込んで用を足し、リュックから紙を取り出そうとしたら、野豚がうなりごえをあげて排泄物めがけて突進してきた。柴田氏は体をかがめながら必死で逃げた。
 これは恐怖だ。トイレに入って用を足すときは、何ものにも邪魔されず、最も安心できて、最もリラックスできる時間であるというのが、人類始まって以来の当然の理、これこそ基本的人権の極みだと思っていた。それがおちおち排泄もできない暮らしが続いているということは、文明をつくった人間は何をしてきたのか、そんな文明、聞いてあきれる。野生生物の世界で、ウンチをしていたから敵に襲われたとなったら生きていけない。ウンチをしていても、いつでも逃げられる用意をしていなければならない。ところが服を着ている人間はそうはいかない。
その氏が、36年ぶりに、インドにトイレを訪ねて旅に出た。インドに、トイレを全戸に設置し、野外排泄しなくてもよい県が生まれたと聞いて、そこに向かった。タール砂漠の一つの村では、コンクリート製のトイレが建てられ、天井にタンクを置き、井戸水を汲み上げていた。一人の主婦が「人生が変わった」と感激を語ったそうだ。それまでは、暗いうちに起きて、1キロ以上も歩いて、空き地を探して用を足していた。レイプ事件も起こったという。生活の場にトイレをつくらなかった歴史というのは、なぜだろう。
 ぼくの体験では、ヨーロッパからインドへ野宿しながら旅をした1965年、砂漠を横断する時は、もうどうしようもなかった。隠れようもない。少し離れたところでしゃがんで用を足した。他の人は見ないようにするしかない。
 「脱・野外排泄」を進める村々が増えているそうだが、それでもまだ「インドの国民の64パーセントが野外で排泄している」と地方開発大臣が現状を嘆いているらしい。人工衛星を飛ばし、核兵器を開発し、IT大国になったインドで、国民の半数以上がトイレのない暮らしをしている、この異常な「文明国」。
 「これは変だ」「こんな困ったことをいつまで続けるのか」と思考がそこへ向かわないで、「これまでみんなそうしてきたから、そうしている」「そうするしかないから、そうしている」というプラグが入っていると、そのプラグを抜く人が現れるまで困った事態が続いていく。
 ぼくが中学生だったとき、理科を教えてくれた辻田先生が授業でこんな話をしてくれた。
 「こんな実験をした人がいるんです。汽車のトイレがありますねえ。トイレの後ろの車両の、窓の外にずーっと紙を貼り付けて、走っている汽車のトイレから赤いインクを溶かした水を流したんです。そうしたら、どうなったと思いますか?」
 みんなはぽかんとしていた。先生は言った。
 「後ろの車両の窓ガラスに貼り付けた紙に、赤い点々が、トイレに近い窓から途中の窓まで付いていました。では、これはどういうことですか」
ということは、赤いインク水は列車の下へ垂れ流しになっているということだ。ウンチやオシッコをすれば、窓を開けていたら入ってくるということだ。その結論にみんなゲエーと叫んだ。
 そういう列車が長く改善されずに走り続けていた。
つい最近まで山小屋のトイレは垂れ流し同然のところもあった。ぼくが10月の白馬岳にひとり登って見た光景は、山小屋の裏の方の岩にはさまれた窪地に、大量の糞尿が捨てられていた。
 今、北アルプスでは、便槽をヘリコプターで運んで下ろしたり、循環型トイレを導入したりして、以前とはすっかり変わった。
 日本のトイレの技術革命は、世界のトップを行くのではないか。昔から日本の農村では、し尿は田畑の肥料にしていた。農家は大八車を押して、街へトイレの汲み取りに行って、し尿をもらってきた。だからし尿を肥やしと言った。都会と農村の関係は循環の関係になっていた。不要な廃棄物を出さない仕組みが、江戸時代には出来上がっていた。それがトイレの全戸完全普及になっていった。し尿を田畑に入れることをしなくなって、この循環は今はなくなった。「捨てるものは何もない、不要なものは何もない、すべては活かせる」、この考え方は今は使い捨ての経済論理が幅を利かせて、なくなってしまった。
 世界でまだトイレがない家が多い。まずこれを循環の仕組みを導入して解決し、トイレ革命を成し遂げる。サトコたちの実践はその道を歩んでいる。