畜産センターが抱える問題


黒沢川の堤の桜並木は、安曇野を南西から東北方向へ斜めに断つように続いて、桜が開花すると桜堤は美しい遠景を見せていた。
けれども、桜並木に近づけば、そこは花見の宴を催したいとはとても思えないところになっていた。
「せめてここで、花を愛でながらお弁当をひろげられるような所にしてほしい。それが私たちの願いですよ。」
地元に住んでおられるお二人はおっしゃる。
川の北側には、桜並木に隣接して、何軒かの農家の養豚場、牧場があり、公設の犬猫の殺処分場や家畜の糞尿の堆肥センターなどが集まっている。川の南側には市内全域のごみの最終処分埋め立て場がある。近隣を悩ます臭気は、この畜産施設が原因になっている。
畜産は、狭い敷地に多くの頭数を飼育し、糞尿対策を後回しにしてきた。EM菌を使った堆肥作りの施設を導入している牧場もあるが、見た目にも家畜の飼育環境は劣悪であった。
住民からの臭気の苦情を受けて、行政もなんとかしようと動き出してもいるが、毎日何十トンと出る糞尿は、少し前まで野積みされて、大規模な垂れ流しの放置場であった。
3月8日、市の農政課は乳酸菌の液体を堆肥場の堆積糞にまく取り組みを始め、それを公開するということであったから、「安曇野市を考える市民ネットワーク」の五人が、臭気問題に取り組む住民代表二人と一緒に見学した。 
市の職員や審議委員らの一行もバスで来た。
蓄糞を収納してある建物のなかで、市の職員が乳酸菌の溶液を動噴でまいた。
「少し臭いが消えましたね。」
農政課長が説明する。
見学者から堆肥化の工程、乳酸菌の効能などで質問が出た。課長は元気よく応えていた。ぼくはEM菌の試用の有無について意見を出したが、その場の状況ではコミュニケーションになりにくく意見は中途半端に終わった。

市の職員たちが帰った後、市民の七人は周辺を見て回ることにした。
畜産施設の周りに美観はなかった。たくさんの放置物、がらくたが畜舎の周辺に置かれ、牧場という名にくっついている牧歌的なイメージは全くない。暗く閉ざされた畜舎の中で、牛や豚は快適に暮らしているのだろうか。
外国人の農業実習生を使って経営を成り立たせている牧場の、実習生の労働条件もひどいであろう。
施設の周りを見ていると、掘った地面の穴に豚の死骸が数頭投げ込まれてあった。子豚は横たわり、親豚は腹を上にしている。屎尿を分解する施設は稼動していたが、最終の屎尿は空き地の中に掘られた池に溜められ、長いホースで草地に放流されていた。
野外の広場に、数頭の牛がしゃがんでいる。糞尿のなかを歩き回り、土はこねられて泥んこになり、牛の体も泥だらけだ。
市の行なっているゴミの最終埋立地は、フェンスに囲まれ、露天掘りの穴に埋められたゴミの上に土がかけられている。地表から上一メートルまで埋め尽くせば、土をかぶせて、他の用地に移動する予定だという。移動用地も、またここから遠くないところになるらしい。

見学を終えてから、七人で意見を交換した。
安曇野というイメージはどういうものだろう。浮かぶ一般的なイメージは美的なものだろう。ところがこの地は、忌避されるイメージに染められている。西に上れば、民営の産業廃棄物処理場が造られ、すでに稼動している。
これまでの直接の苦情は臭気問題だった。臭気だけを問題にしていていいのだろうか。次に危惧が生まれたのは地下水の汚染という問題だ。地下水の問題はもっと広範な地域に影響を及ぼす。安曇野ブランドにも悪影響を与える。
こうなってきたのは行政の責任である。同時に住民と市民の意識の問題である。無関心、あなた任せ、旧村時代からの行政の言いなり、将来を考えない。その結果、この地を汚辱の地にしてしまった。
住民が、さらに子どもたちが、この地に誇りを持ち、愛情を抱き、将来もここに住み続けたいと思うだろうか、それを最も恐れる。
畜産農家も、牛も豚も、周辺住民も、快適で健康に暮らせるように、信頼と希望が生まれる施策を考える。
無責任と怠慢、不誠実をぬぐいさるために、住民が徹底的に話し合い、市民が協力する、そして市政が動く、そうすれば可能性が必ず生まれてくる。
畜産経営をよくし、家畜環境も人間の環境も改善し、桜並木の下で、花見を楽しみ、牧場や養豚場を見学して牛や豚と遊ぶ。
地元産の安心できる豚肉を食し、牛乳を飲み、乳製品を食べる。そこを展望して運動を展開していくことができるならば希望は生まれる。
今ある困った条件を、好条件に変えることがキーポイントである。