朝の七時の鐘の音

 朝のウォーキングパトロール、登校する子どもたちに出会うように、山に向かって道をあがり、上の集落の子どもたちの通学路を歩いてから幹線道路を下り、村の中央を貫く道を下りてきた。今日の常念山脈には雪が積もっていたが、鹿島槍ほどまっ白ではない。北にそびえる山々はもう完全な冬の雪山だ。
 自転車で犬のシュンちゃんを連れて散歩に出ようとしていたKさんと立ち話。ぼくの帽子、腕章などを示して、ウォーキングパトロールのメンバーになりませんか、とお勧めした。
 「ウォーキングパトロールのコースや時間は自由なんですよ。警察署に登録するといいですよ。もしかの事故のために保険にもはいってくれます。私は、子どもたちの通学時間に合わせて歩くようにしています。ワンワンパトロールとも呼んでいますよ」
 Kさん、大いに関心を示し、入ろうかなという思いが笑顔に出ていた。この地区でウォーキングパトロール隊員が増えればいいなと思う。子どもを交通事故や犯罪から守るために、Kさんも一緒にやれるといいなと思う。
 村の中に10軒ほどの新興住宅地のブロックがいくつかあり、そこから小学生が何人か出てくる。若い夫婦が住んでいるのは新興住宅地だ。小学一年生のランドセルには黄色いカバーがかけられている。仲良くなった女の子のUちゃん、家を出てくるなり、ぼくに自分の口を開いてイーッと歯を見せた。
 「歯が抜けたよ、ここ一本」
 「あれ、抜けたかい、乳歯だね、昔は抜けた歯を屋根の上に投げたんだよ」
 「ぼく、屋根に投げたことがあるよ」
 一緒に登校する男の子が言った。
 屋根に投げておまじないをする。また歯が生えますように。
 子どもたちはそれぞれ3人組、4人組になって登校していく。上級生の女の子が一人で行く。
 カーン、カーン、カーン、
 近くで鐘が鳴った。少しずつ間を置いて高らかに響く。最近午前7時きっかりに鐘が鳴る。村の公民館の前に火の見やぐらがあり、そこにスピーカーがついていて、鐘の音が響くんだのだとばかり思っていた。よく見ると、火の見やぐらのてっぺんに鐘はなく、鉄塔の7分目ほどの高さのところに、人の姿が見えた。細くて高い鉄の塔、そのてっぺんから少し下のあたりにいる人の手が伸びると鐘が鳴る。あんなところに人が上っている。その人が鐘を鳴らしている。あひゃあ、驚きだあ。昨日も一昨日も聞いた鐘の音、その音は人が直接鳴らしていたんだ。何もかも電波に乗せられて、スピーカーから音が出てくるこの社会、鐘の音も電波で送られてきたものだと思っていたのが違った。これは新鮮な感動だった。
 鐘は、やぐらから突き出すようにぶらさげられ、男は木槌のようなもので打っている。鐘はゆっくり、3呼吸して一打ち、連続して7回鳴った。一昨日この音を聞いたとき、その音色が生の音のようだなと思ったが、実際に人が打ち鳴らしているとは予想もしなかった。

 小学生を見送ったぼくはランと一緒に、火の見やぐらの下へ行ってみた。下りてきたのは、30前後に見える男性だった。
 「人間が鳴らしていたとは、思いもしませんでしたよ。へえー、毎日鳴らしているんですか」
 男性は笑顔で、
 「今火災予防の運動期間で、この期間中、朝は7時、夜は8時に鳴らしています」
と答えた。初めて会う人のようだったが、同じ村に住む、消防の仕事をしている人だった。
 「火災予防月間で鳴らしているんですか。ご苦労様です。一年中、人が直接鳴らす鐘の音を聞けたらいいんですがねえ。この期間だけですかあ、そうですかあ」
 ちょっと残念。男性は大声で笑った。日本の寺の梵鐘、ヨーロッパの教会の鐘楼の鐘、生活のなかにある、人が直接鳴らすそのものの鐘の音、それを聞くと、鐘を打つ人の心と行為、すなわち今生きている人間の魂を感じる。鐘を打とうと時間前に家を出て、火の見やぐらまでやってきて、はしごをつたって上に上り、鉄塔の一部を左手ににぎり、右手に小槌をもって、時刻きっちりに最初の一打、一打一打に心をこめる、地域の安全、安寧を祈る心を。
 セットされて自動で鳴る録音の音とは、明らかに異なる命の音色である。