教育実習の本質とは何だろう

 

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 コロナ禍で、文科省が教育実習ができない場合、やむをえず「実習なしも認める」という方針を出した。

 実習なしでも資格が得られる、というのはよくない。けれど実習の受け入れができず、学生が教員の資格が取れないとなってしまうのもよくない。苦肉の策が、この文科省の方針だった。

 

 そこで教育実習の本質とは何か、

 ぼくの体験を書いておこう。60年も前の話だ。

 四回生の春、教育実習があった。実習校は、大学指定の田舎の中学校だった。木造平屋建ての素朴な学校。受け入れてくれた教員たちは、まったく気楽な感じで、のんびりやってください、と言わんばかり、先入観一切なしの自由奔放な実習だった。ぼくは一年生のクラスで実習することになった。美術科の学級担任はぼくにこう言った。

 「自由に学級づくりをしてください。好きなようにやりたいように、やってください。」

 それから5週間、公開研究授業の時以外、担任は一度も教室へ姿を現わさない。完全に学級運営は任された。教科担当の指導教員も、ぼくに授業を任せた。

 5週間は夢見るような日々だった。のどかな春、ひねもす子どもたちと遊び、学ぶ。

 一つの部屋が実習生に用意され、数人の実習生はそこで話を交わしながら教材研究や指導法の研究をする。放課後、ぼくは自分の担当クラスで子どもたちと過ごし、一緒に壁新聞をつくったりした。ときどき中庭で実習生どうしでテニスをした。

 夕方五時が過ぎると帰宅の途に就く。それまで毎日教室に残ってぼくと過ごす子らがいた。男女五、六人、帰宅の時はぞろぞろ最寄りの駅まで見送りがてら付いてくる。野の道をおしゃべりしながら帰っていくときの楽しい会話は、これまで味わったことのないものだった。

 食肉業を生業としている村の子らが何人かいた。その子らは実に人なつこく朴訥で、かわいかった。会話をしているだけで楽しい。

 

 ある日、英語科の実習生が言った。

「この学校の英語の先生の授業がおもしろいよ。そのベテラン授業は参観した方がいいよ。目からウロコだよ。」

それを聞いて、英語の授業を参観に行った。一年生の授業だ。

 「ペンソー」、手に持った鉛筆を示しながら女性の先生が発音する。生徒が一斉に、「ペンソー」と発音し、繰り返す。ペンシルではなくペンソーか、ふーん、それが本来の発音か。先生は次から次へと物を持ち換え、あるいは指でさし、名前を英語で言う。あふれるように英単語が発せられ生徒は復唱する。日本語はしゃべらない。緊張感が教室にみなぎっていた。ぼくは圧倒され感動した。自分は戦後の中学校でまともな英語の授業を受けたことがなかった。これが英語の授業なのか。女性教師はリズミカルに英語を発し、生徒に発音させ、息つく暇もないリズムとテンポをもって、まるでピンポンのゲームのように学習を展開した。生徒は実に生き生きと英語を発し、それは心身にしみこんでいくようだ。教科書を読んで訳して、文法を説明して終わりとする授業しか体験してこなかったぼくは驚愕した。何かがごとりと変わる感じがした。

 自由で夢のような実習生活だった。実習の最終段階に、実習生一人ひとりが授業を行い、それを実習校の指導教員や大学の指導教官、他の実習生が見て批評する公開授業があった。これも遊びのように楽しみ、最後の週を迎えた。

 4週間、姿を見せなかったぼくの実習クラスの学級担任がふらりと姿を現した。

「生徒観察記録を実習の最後に書いて提出してください。」

 用紙が渡された。ぼくはクラスの生徒全員について、観察し体験したこと、集団の中での関係や働き、性格など感じたことを書いて提出した。主観的なものだけれど、担任の指導教員はそれを読んで言った。

 「よくまあこれだけ、全員を観察しましたねえ」

 子どもたちと遊び、語り合い、自由に過ごした楽しい生活の記録だった。

 最後の日に、担任教師は生徒とのお別れ会を催してくれた。別れを惜しみ、鼻水を垂らして泣く子がいた。

 この田舎の学校での教育実習で得たものは、生徒と共に自由に暮らす体験のかけがえのない楽しさだった。教育とは何であろうか、教育実習は、その原点を体感することにある。子どもはかわいい、おもしろい、教育はやりがいがある、そのことを存分に感じること、それがこの学校の教育実習の狙いであった。授業の方法や技術はその後からついてくる。5週間の教育実習は、教壇に立つ日に向けて、学生の魂を発火させることに目的があったのだ。