今日は大阪で加美中の同窓会


突然同窓会を開きたいと、マキちゃんから連絡があったのは春だった。卒業してから25年がたっている。
それから五月の連休に、マキちゃんは旦那と娘と3人で、大阪市から車を飛ばして安曇野にやってきた。3人は数時間我が家にいて、話に花を咲かせ、しかし宿泊もしないで帰っていった。大阪、信州を一日で往復したのだ。帰るときに、マキは自分の卒業アルバムを置いていった。「卒業生の顔と名前を思い出してね」ということだった。ぼくには人生の大きな遍歴があり、その結果、ほとんどの卒業アルバムはなくなっている。
8月の盆過ぎ、ユウコが旦那とやってきた。二人は新婚で、瀬戸内海の島に住み、島おこしの活動をやっている。二人が信州にやってきたのは、町おこしをしている信州のある町から招かれたからで、そのついでに我が家に寄っていったのだった。
マキとユウコは同級生だ。大阪市立加美中学校2年のとき、ぼくのクラスだった。
加美中学校の、彼女たちの期生の同窓会をやりたい、それは学年規模の同窓会であると、マキは言う。24年前の卒業生が集まる。それも24年間一度も開かれなかった同窓会で、これはかなり困難な計画だ。
マキの学年で、この24年間に連絡を取り合い、家にもきてくれた卒業生は10人ほどに過ぎない。彼らはぼくが大阪を離れて遠い他県にいたときも来てくれた。そのほかの人たちは、何人かが電話をくれたことがあったが、他はまったく音信がなかった。だから顔も名前もおぼつかない。住所録もない。
これまで一度も同窓会なんて開かなかったのに、どうして今になって開催するのか、それはどうもぼくの発言が原因しているようだった。
「あと10年、生きているかどうか分からん」
ぼくがそう言ったのか、マキがそう思ったのか、そこはよく分からないが、どうもぼくはそう言ったような気もする。それをマキはほかの同窓生に伝えた。卒業生の一人、チーコが大きく反応したとマキは言う。なんとしてでも同窓会をやりたい、やろう、となった。
彼らは今何歳? 39歳だな。39歳というと、仕事も家庭生活もどっぷりそこに浸かっている。夜も昼も仕事に没頭というのもいるだろう。同窓会? それどこじゃない、そういう年齢だ。マキ自身、子どもが3人いて、長男は高校進学の年だと言っていた。そして今年彼女は会社の正社員になった。
そういう年齢にあって、同窓会を開く。どうやって住所を調べる? 住所録はないし、友人関係はばらばらになっているし、あの期生は10クラス400人という大人数だ。
発起人は何人なのか分からないが、それでも彼らは仕事の合間に動いた。ときどき、マキからメールが入る。そのメールが途中からあまりにも簡潔で、そっけないものになった。ぼくはマキの心境がよくないなと思った。同窓生を掘り出し、連絡するという困難な仕事に疲れてしまっているのではないかと、メールを送ってみた。「つかれているんじゃないか」、返事が来た。
「おはようございます。満員電車に揺られながら出勤しています。10月1日より転職し正社員で働く事になりました。家につくのが午後7時なので慌ただしい日を送っています。旦那さんや子供たちが私のサポートをしてくれるので感謝んしています。」
高校に子どもを進学させるために、仕事について忙しくなっているということだった。
マキたちはどうやって連絡を広げているのか、聞くと、ほとんど人から人へ、口から口へ、電話を使っているとのことだった。ハガキ、手紙という印刷物は一切使っていない。血管が広がるように口伝えで口コミュニケーションがで動いている。
「現在 参加確定54人 保留26人です」
マキちゃんからの一週間前のメール。
そしてとうとうその日が来た。
「参加者が62人になりました」
同窓会前日のメールだ。

大阪市心斎橋筋近くの会場。ぼくは今そこに向かっている。同窓会が終われば、夜はマートの家で泊めてもらう。あしたは、今日来れなかったマサル君と会う。そして彼らの先輩シンジ君とも。
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