とうがらし味噌

 長瀬のおばさんが、自転車の荷台にナスをいくつか入れて、居住区のゴミ集積場に立ち寄ったときのこと、唐辛子の実が付いた一枝を持っていた。
 「コショウだよ」
 「え? それ、唐辛子ですね」
 「コショウだよ。辛いよ」
 どう見ても、それは唐辛子だ。ソバやラーメンの上に振り掛ける胡椒ではない。あのコショウは、つる性の常緑樹で、高さ8メートルにもなるが、どうもこの辺りでは、激辛の唐辛子の一種を栽培していて、それをコショウと言うらしい。ゴミ出しを見ている環境委員の宮田のおばさんも近寄ってきて、コショウ味噌の話になった。
 「これを細かく刻んでね、味噌に入れるだ」
 長瀬さんがそう言うと、宮田さんも、
 「生味噌に刻んで入れるだ。夏の暑いとき、食が進まなけりゃ、食べるだよ。いくらでもご飯に付けて食べられるだよ」
 そうかい、それはいいな、唐辛子味噌だな。
 「これ、あげる」
と長瀬さんがぼくに枝を差し出した。宮田さんは、
 「生味噌にコショウを生のまま刻んで入れるだけだよ」
と言うから、それは簡単でいいや、我が家でもつくれるぞ、ともらって帰ることにした。
 奈良の御所にいたとき、近所の方から世界一辛い唐辛子だと言って、苗をもらったことがあった。名前はハバネロと言った。育ててみると、なあるほど、実は辛い。さわっただけで眼がひりひりした。唐辛子をさわった手で、体のどこか、刺激に弱いところをさわると、びりびりだ。
 このあたりでコショウとか言うのは、あのときの唐辛子のようなものだろう。
 帰り道で、宮田さんが、
 「私のつくったのを、持っていくだ。食べてみましょ」
と言って、家にいったん帰って小さな容器に入れた味噌を持ってきてくれた。
 ふたを開けてみると、生味噌のなかに唐辛子の刻んだのが入っている。
 さっそく暖かいご飯にのせて食べてみた。コショウの辛さが口にしみる。だが飛び上がるほどではなかった。食が進むというのも分かる。けれど生の味噌がもうひとつで、いかにも生という感じだ。
 長瀬さんからもらった一枝は、いくつかの実をつけたまま、台所に置かれたままだった。家内もそのままにしていた。
 数日して、長瀬さんがやってきた。今度はもう少し実がたくさん付いた枝をもってきた。
 「油で少し炒めたらいいよ。お砂糖も入れてね。生のままではもひとつだよ」
 家内に作り方を教えていった。
 長瀬さんの刺激で、家内のエンジンがかかった。唐辛子を細かく切り、フライパンに油を少し入れて炒める。唐辛子を切っているだけで、眼がしょぼつくし、咳が出る。炒めすぎないこと、軽く炒めることという指南だったから、そのとおりにして、そこへ味噌を入れ、砂糖を加えて弱火で炒めながらかき回す。こうしてできたトウガラシ味噌、保存もきく。味見してみたら、生よりはおいしい。辛さもある。あつあつの新米ご飯の上にのせて食べると、これはうまそうだ。
 と、そこへまた長瀬のおばちゃんがやってきた。長靴はいて、エプロンつけて、バイクに乗ってやってきた。
 「新穂高へ行ったことあるかい」
 そりゃ何回もあるさ、山に登っていたから、と言うと、
 「そうかい、それじゃだめさね。3日、新穂高へ行ってロープウェイで登って、平湯の温泉に入ってくるだ」
 近くの親しい人たちのそういうグループがあるらしい。稲刈りすんで、のんびり温泉につかって、高山の祭りを楽しんでくる。もうひとり車に乗れるから、それなら吉田さんだとなったらしい。せっかく誘ってくれたけれど、ぼくは行けない。
 「コショウ味噌、作ったよ」
 「コショウ味噌、作ったかい、そうかい。炒めすぎないようにね、砂糖たくさん入れたほうがおいしくなるよ。生味噌ではおいしくないよ」
 カブにまたがった長瀬のおばちゃん、なんだか浪速のおばちゃんのような感じがした。