一冊の詩集

 若かったころ、キスリングザックの大きなポケットに、ぼくは一冊の詩集を入れて、山に向かった。キスリングザックは分厚い帆布でつくられた登山用の大型ザックで、ザックの両側に大きな深いポケットが出っ張っていた。
 そのころベトナム戦争がつづいていた。アメリカ軍の熾烈な攻撃に対して、南ベトナム民族解放戦線と北ベトナム軍は、ジャングルに隠れ地面を掘って、獣のように戦っていた。
 ジャーナリスト本田勝一ルポルタージュではなかったか。ひとりのベトナム兵が一冊の詩集をもって戦場に出ていたことが書かれていたのを読んだことがある。祖国の解放のために泥沼のような戦いに出て行く若者、詩集を一冊、たぶん文庫本ほどもない小さなものだったのだろう。体も精神もずたずたに引き割かれていく戦場の中で、それは精神の救いになるお守りであったのか。
 アジア太平洋戦争の戦場にかり出された日本の兵士のなかにも、一冊の詩歌集や哲学の書をしのばせていった人がいたことをその後知った。
山に向かうぼくと、ベトナム戦争に従軍する兵士とは、まったく異なるものではあったが、一冊の詩集をザックにしのばせるとき、ベトナムの兵士に思いが飛んだ。
 いつも決まって持って行く詩集があった。それは山行のなかで雨に濡れ、ぎゅうぎゅう押し込められもして、本はよれよれに変形した。

         山の奥より    百田宗治

    海に入りて死せし子は
    山の奥より生まれきぬ
    山の奥よりしのびかに
    しのび泣く音(ね)のもるるなり

 本田勝一は、それこそ命をかけて戦場に取材した。南ベトナム政府軍に従軍し、つぎに民族解放戦線の村に入って取材した。その描写の微細さ、正確さは比類ないルポであった。この記録を通して、読者は「ベトナム人民」と呼ばれているその「人民」の具体的な様相をすっかり自分のものにしてしまうと、ある論評は書いている。

 <顔も、声も、体臭さえも、まるで実際その体に触れた人のように想い起こし、暮らしぶりもすっかりわかってしまう。『戦場の村』から『解放戦線』へとつづくスリリングな戦争そのものの場面で、読者はその親しい「人民たち」の悲惨さと解放の明るさを読むのである。政治を語らず、戦闘を描かずに何のベトナムルポかと、多少いらだち気味だった人はなおさら、この後段の盛り上がりのなかで、政治と戦争そのものをガッシリと手にせざるを得ない。>

 本田勝一は、信州伊那谷生まれの登山家であり、戦後を代表するジャーナリストであった。「カナダエスキモー」、「ニューギニア高地人」「アメリカ合衆国」「中国の旅」「殺される側の論理」など、彼の著作から世界と人間を学んだ。
 本田勝一にはまた「ルポルタージュの方法」「日本語の作文技術」などの著作もある。

 今ぼくは、別の山の詩集を手元においている。若いころ山へもっていっていた本は、もう失ってしまった。今の本も、古く変色し、綴じたところがはがれて、ページがばらばらになっている。分解を防ぐために、何度も糊でくっつけている。