小説「逸見小学校」


 65年間も作家の書棚に眠っていて未発表の長編小説がこの夏、出版され本になった。
作家は庄野潤三。発見された小説は「逸見小学校(へみしょうがっこう)」。
 180枚の原稿用紙の作品のうち途中3枚が行方不明になっていて、そこだけ話が飛ぶが、物語の展開にはあまり支障がない。
 読むほどに私は引き込まれていった。
 作品は、題名からすれば小学校や子どもの話かと思うが、そうではなく、作者が少尉として体験した軍隊生活を描いている。主人公は千野少尉。戦争末期、横須賀にあった逸見小学校は、アメリカ軍の本土上陸作戦に備えて配置される独立高角砲隊の一時駐屯地になった。すなわち元の小学校は移転して、その学校には海軍の兵士がいたのである。
 物語は、命令を受けて陣地をつくるために出発するまでの、一時的にそこで暮らした複数の部隊の兵士たちの生活であり、陰惨な戦場の状況とは異質の人間模様が描かれている。
 どうして、この小説が発表されなかったのか。庄野の没後(2009年)、作品を発見した庄野夫人は、この作品に登場する軍人たちにも実在のモデルがあり、そのことで迷惑がかかることを夫が恐れたのではないかと言ったそうだが、解説者、鷺只雄は、元原稿にはおびただしい推敲のあとがあり、そこには書かれているが発表された作品からカットされた部分に、
「激しい急流があって、その流れの真っ只中にみどりの葉っぱが一片、無心にゆるやかに同じところを旋回している。それに似たものを、千野は逸見小学校での生活に感じるのである。」
「(逸見小学校での一ヵ月は)海軍生活の中で初めてのある幸福な期間」
と書き込んであるのを読んで、逸見小学校の一ヶ月は、彼らにとって「オアシス」であった、だから終戦直後の社会の時流から発表をためらわせたのではないかと推測している。
小説の中にこういうシーンがある。
 

     ☆     ☆     ☆


 「千野少尉、おれが生命のつぎに大切にしているものを見せてやろうか。」
 あるとき、八木(少尉)はこう言ったのである。それは彼が千野に対して特別の親近さを感じ始めた頃のことだった。彼は自分と同じ文学青年の千野を同僚の中に発見したことによろこびを感じていた様子だった。
 ……八木は自分のトランクの中から一冊の本を持ち出してきて、千野に見せた。
 それは小学生全集の中に入っていた『小公女』だった。……
「おれはこの本を生命より二番目に大切にしているんだ。小学校の三年生のときに、おれはこの本をおやじに買ってもらった。それから、これはおれの一番好きな本になった。」……
「いいねえ、屋根裏部屋に移されたセーラ・クルーが友だちと二人で、毎晩空想の宴会をするところがあるだろ。すると、二人が知らない間に、テーブルの上においしいお菓子がいっぱい置かれてあるんだ。」
「そうだ、窓からとなりの家のインド人がこっそり忍び込んで置いていくんだ。」
「いいなあ!」
 八木も千野も声をそろえて言った。
「おれはねえ、千野少尉」
 と八木は眼をうるませて言った。
「おれは、ずいぶん苦しい時や孤独な時、屋根裏部屋のセーラ・クルーのことを考えるんだ。すると、おれの心は不思議に温められる。『小公女』はおれにとってはなくてはならないものとなった。今度、海軍に入隊する前の晩に、おれはこいつをトランクの中へ入れた。貴様は感傷的な男だと言うかもしれないけど、おれはどこへやられるにしても、飛行機に乗ろうと潜水艦に乗ろうと、こいつは手放すまいと決心したんだ。」
 話しに熱が入ってきた時の八木少尉のくせで、相手の瞳をじっと見つめて、その顔が一種泣き笑いのような、人懐こい表情を呈してくるのだった。
「おれにもしも物語を作る才能があったら、死ぬまでにたった一篇だけでいい、この『小公女』みたいな物語を書いておきたいと思うよ。人の心を幸福にし、生きていく勇気と鼓舞を与えてくれる、こんな楽しい物語を」
彼はしみじみとした口調で言った。


     ☆     ☆     ☆


 兵士が、一冊の本を戦場に持っていったという記録をいくつか読んだことがある。
 あのベトナム戦争のとき、北ベトナム兵が一冊の詩集を持っていっていたという報道記事は、本田勝一のだったろうか。日本の兵士も、雑嚢のなかに一冊の本を忍ばせていた人もいた。
 戦局は急を告げていた。大阪、東京、各地にB29による爆撃があり、沖縄も戦場となっていくときである。
 直接戦地へ行ったことがなく少尉になった若い大学出の海軍軍人たちは、隊長となってそれぞれ自分の隊を率い、これから米軍上陸に備えて砲台建設に向かわねばならない。少尉たちも兵士たちも、背中に死の影が迫っているのを感じながらも、一時ののどかな生活を楽しむ、そこに生まれてくる人間像は印象深い。
 出発するまでの日々を逸見小学校の校庭でサッカーをしたりして過していたある日、故郷の我が家へ一泊、二泊の日程で帰らせるという大胆な行動を少尉たちがとったことがあった。最後の別れとなる可能性があったからだが、その帰宅は軍の上部からは禁止されていた。それを少尉たちは、軍の上部に知られないように、計画を遂行する。兵士たちの喜び、そこから生まれてくる信頼関係と団結。これまでの戦争の記録では考えられないことだった。