ネパールで出会った人<2>

 カトマンズの「さくら」という日本料理店で親しくなった男性は、どんな事情があって空港に来れなかったのか、いろいろ想像するとすごく心配だった。が、一瞬の出会いの人であるから、時間と共に過ぎ去っていく。彼はやがてぼくの意識から消えてしまった。
 しかし、人生の一瞬の出会いであり、時間とともに過ぎ去っていく存在であるにしても、その一瞬には強い友情が通い合う。そういう出会いがある。どこのどういう人物で、背景とかその人の経歴とか、性格は?思想は? など一切問うことなく、知ることなく、ゼロの下地で数時間付き合うと、そこに自己の本然の姿が現れ、短い出会いの間に強い友情を感じることもある。
 ネパールに入る前、タイのバンコック空港を経由したときに出会った男がいた。
 バンコックからのカトマンズ行きは3日後に飛ぶというチケットだったから、バンコック空港の近くの民宿に宿泊した。宿にはエアコンはなく、猛烈に暑い寝苦しい夜を過ごした。相部屋にひとりの日本人男性がいて、彼も暑さにうなっていた。聞けば彼は3日後にインドに行くと言う。それじゃ、明日一緒にどこかへ行こう、ということになり、アユタヤへ行くことになった。
 翌日、列車に乗ってアユタヤへ向かう。座席に座った二人は話し続けた。アユタヤの遺跡をめぐり、その地に1泊して3日目にバンコックにもどるまで、どんな話をしたか。それは彼の身の上話から恋愛の悩みだった。札幌で働くレントゲン技師だと言う。いま付き合っている女性と結婚するか、どうするか、そのことに悩み、答えを出すためにインドを放浪するというのだった。
 バンコック空港で別れたのは3日目の午後だった。3日目の昼食を一緒に食べ、彼の悩みを一緒に考え、別れがたい思いをもって、二人は別れた。再び遭うことはない、一瞬の出会い。けれども、その出会いは濃厚で、忘れがたい熱い感情があった。
 旅の中には、そういう出会いの一瞬がある。

 26歳のとき、シルクロードの旅に出て、出発点のイタリア・ベネチェアへ向かう途中モスクワを経由した。そのモスクワで、これまた忘れがたい一瞬の出会いがあった。
一日ぶらぶらとモスクワで遊び、郊外の教会を訪れた。キリスト教社会主義政権下で抑圧されていたから、宗教絵画も残る遺跡の教会は閑散としていた。絵画を見ていたとき、
 「日本人ですか」
と声をかけてきご婦人がいた。品のある美しい女性だった。顔を見ると日本人のようであったから、
 「はい、そうです。あなたも日本人ですか」
と訊くと、
 「いえ、私は朝鮮人です。夫はブルガリア人です。名前は池金銀(チキンギン)と言います」
 彼女は話し始めた。自分は日本の植民地時代、朝鮮の女学校で学んだ。その学校で日本人と一緒に勉強した。だから、日本語を話すことができる。結婚して夫のブルガリアに住んでいる。
 彼女の日本語は、実に美しい日本語だった。1945年以後、日本人には会っていない。今日、20年ぶりに日本人に会った。
 彼女の話は、なつかしさにあふれていた。
 しばらくの語らいではあったが、歴史を思いながらも、親しみあふれる会話は、心をうつものがあった。
彼女も忘れがたい一瞬の人だった。