ヘッセ、放浪する人

 詩人で小説家であったドイツのヘルマン・ヘッセ(1877―1962)は、1919年、南スイスに住んで、「放浪」という著作を刊行した。第一次世界大戦という苛酷な戦争体験のなかから、「文明と自己とを徹底的に批判し、ゼロから再出発しようと、厳しい孤独と耐乏生活のうちに文学に集中した(高橋健二)」ときである。
 「放浪」の最初に、「農家」という小品が置かれている。ヘッセは、ドイツからスイスへ、峠を越えていった。

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 <この家のところで別れを告げる。もう長い間こういう家を見ることはできないだろう。私はアルプスの峠に近づくのだし、ドイツ的な景色とドイツ語といっしょに、北方的なドイツ的な建築様式もここで終わるのだから。
 こういう国境を越えるのは、なんとすてきなことだろう。放浪者は多くの点で原始的な人間だ。遊牧民が農民より原始的であるように。それにもかかわらず、定住にうちかつことと国境をけいべつすることとは、私のような型の人間を未来への道案内にする。
 私と同じように国境に対し深いけいべつの念を抱いている人がたくさんいたら、戦争も封鎖ももはやなくなるだろう。国境より憎むべきもの、国境より愚かなものはない。それは大砲のようなもの、将軍のようなものだ。
 理性と人間性と平和とが支配するかぎり、人々は国境なんてものは感ぜず、そんなものはせせら笑う――だが戦争と精神錯乱とが突発するやいなや、国境というものが重要に神聖になる。
 われわれ放浪者にとって、戦争中、国境がどんなに苦痛の種になり、牢獄になったことだろう! 国境なんか悪魔に食われてしまえ!
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 いよいよお別れなのだから、故郷のにおいのするこれらすべてのものを、私は今一度ひとしお強い愛情をこめて愛するのだ。あすは、別な屋根を、別な小屋を愛するだろう。
 私は自分の心を携えていくだろう。山のかなたに行っても、この心はいつでも必要だ。私は遊牧者であって、農夫ではないのだから。私は、不信と変化と空想の信奉者だ。自分の愛を地上のある一点にくぎづけにすることを、わたしは大したことだと思わない。私は私たちの愛するものを、いつも一つのはかない似姿にすぎないと思っている。私たちの愛が固着し、忠実や徳になる場合、愛は私には疑わしくなる。
 農夫は幸福だ! 所有する人、定住する人、忠実な人、有徳な人は幸福だ! 私はそういう人を愛することも、尊敬することも、うらやむこともできる。だが、私はそういう人の徳をまねようとしたために、自分の半生を失ってしまった。私は、自分のガラにもないものになろうとしたのだ。詩人になりたいと願いながら、同時に市民でもありたいと願ったのだ。芸術家であり、空想家でありたいと願いながら、同時に徳をそなえ、故郷を楽しみたい、とも願ったのだ。
 両者ではありえない、両者を持つことはできない。自分は遊牧者であって、農夫ではない、さがし求めるものであって、保持するものではない、ということを悟るまでには、長い時間がかかった。長い間、私は、私にとっては偶像に過ぎなかった神々やおきての前で、禁欲苦行をした。それは私の誤りであり、苦悩であり、世界の不幸に対する共犯であった。私は自分に暴力を加えたことによって、救いに道を敢然と歩まなかったことによって、世界の罪と悩みとを増したのだ。救いの道は左にも右にも通じていない。それは自分自身の心に通じている。そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある。
 山からしめっぽい山おろしの風が吹いてきて、私のそばを通り過ぎる。向こう側では、青い空の島々が他の国々を見下ろしている。あの空の下で私はたびたび幸福を味わうだろう。またたびたび郷愁も感じるだろう。純粋な放浪者である私のような種類の完全な人間は、郷愁なんか知らないはずかもしれない。だが、私はそれを知っている。私は完全な人間ではないのだ。完全になろうとも努めない。私は自分の喜びを味わうように、自分の郷愁を味わいたい。
 この風に向かって私は登っていく。それは山のかなたや遠い国や、分水界や言語の境界や、山脈や南国の妙なるにおいを漂わしている。それは約束に満ちている。
 さようなら、小さい農家と故郷の景色よ! 私はお前に別れを告げる。若者が母に別れを告げるように。若者は、母から離れていくべき時だということを知っている。若者はまた、たとえそうしようと思っても、母を完全に捨ててしまうことは決してできない、ということも知っている。>