ミツバチと蜂蜜

 武則さんの家は古い養蚕農家で、別棟になった生糸をとるための木造の工場が、使われることなく朽ちるままに放置されていたが、武則さんはそれを去年解体処分してしまった。家の裏には一叢の林があり、そこに道祖神といくつかの石碑が立っている。
 今朝、林の中に武則さんともう一人、白いつなぎの作業服の男性の姿が見えたので、挨拶がてら裏から入っていった。武則さんはミツバチの巣箱の前に座っている。
 武則さんがニホンミツバチを飼っているということを聞いたのは、この春だった。公民館で会合があったとき、隣に座った武則さんは、ニホンミツバチを飼っているという話をした。話を聞いて一度見たいものだと思っていたこともあり、今朝はちょうどいい機会だった。
 巣箱は、数メートル間隔を開けて、4箱置いてある。箱は手づくりのようだ。箱の下にわずかな隙間があり、そこからハチが出入りしている。
 「刺さないですか?」
 「大丈夫、まだ朝が早いから、活発ではないね」
 武則さんは、満足そうだ。ぼくは質問を繰り出す。
 「西洋ミツバチより小さいですね」
 「うん、一回り小さいね。」
 「このなかに何匹いるんですか」
 白いつなぎの男性が、
 「4000匹ぐらいかな」
と言う。
 「いやあ、それ以上だよ」
と武則さん。
 「へえ、そんなにたくさん。そのなかに女王バチは一匹?」
 「そう、一匹」
 「蜂蜜はどれぐらい採れるんですか」
 「一年で8キロほどだね」
 「へえー、すごい」
 「西洋ミツバチだったら20キロから40キロ採れるよ」
 「へえー、そりゃまたすごい」
 つなぎの男が説明する。ニホンミツバチはおとなしい。巣箱の前に来ても刺されることはない。イタリアにもそういう優しいミツバチがいるけれど、女王バチがすぐに複数になり、すると親の女王バチが分封(ぶんぽう)して、たくさんの働きバチを連れて巣箱から出て行ってしまう。だから数が増えない。その点ニホンミツバチは安定していると話してくれた。
 「このごろ花が少なくて。もうすぐソバの花が咲くで」
確かに花が少ないと思う。我が家の裏の畑では、倉田さんが種取り用のタマネギを栽培している。親株の先端にネギ坊主ができ、その授粉のためにミツバチ業者から巣箱をもってきてもらい置いてあった。
 ミツバチがぷーんと飛んできた。
 「帰ってきた、帰ってきた」
 武則さんが目を細める。朝から蜜を集めに行ったのが次々と帰ってきている。小さな体が巣箱のなかに入っていく。
 「花アブみたいですね」
と言うと、つなぎの服の男性が、
 「そうですね。似ているアブがいますね」
と応じた。
 「かわいいですね」
 小さな体がいじらしく思えてそう言うと、武則さんがうなずいて笑う。
 「ぼくも、飼えるなら飼いたいですねえ」
しみじみそう思う。もし現実化できるならやってみたい。
おととい、息子の嫁の父親から蜂蜜が宅配便で送られてきた。その夜、送り主の力一さんから、
 「ユリノキの蜂蜜、送りました。コンクールで優勝した蜂蜜です。私の兄が養蜂しています。これを味わってほしくて送りました」
と電話があった。二瓶の蜂蜜、一瓶は百花蜜、もう一瓶はユリノキの蜜だった。建物の三階を越す高さまで茂っていた、チューリップツリーとも言われるユリノキを思い出す。