彼はなぜ「エミール」を薦めたのか


 22歳、教師として赴任した淀川中学校に、一年先輩の I という教師がいた。彼は猛烈な読書家であった。出勤途中、停留所で市電を降りて淀川の堤を歩いて学校に至る、その10分ほどの道も本を読んでいる。授業に行くとき、職員室から教室までのわずかな間も読書をしている。本はほとんど文学書だった。あるとき、ぼくが読んでいた「渦巻ける烏の群れ」という文庫本を見て、がぜん関心を寄せ、作者の黒島伝次論を語り始めた。日本軍の駐屯する雪のシベリア、女性をめぐって大隊長が下した命令によって、一個中隊全員が凍死する。著者のシベリア出兵の経験によって書かれた反戦小説であった。英語教師のIさんのプロレタリア文学論に、国語教師のぼくはいつもたじたじとなった。
 学生時代、彼は柔道に打ち込み、有段者であった。血気盛んで、職員会議での発言は烈火のごとく、年輩教師も対決できなかった。しかし、後輩に対してはいたって寛大で、ぼくもよく誘われて居酒屋へ行った。
彼がどんな授業をやっていたのか、よく分からない。生徒たちは彼を恐れていたから、授業のとき教室には緊張感がみなぎり物音ひとつしなかった。体罰がたまにあり、うなるように飛ぶビンタが激しい音を立てた。I さんとぼくとは教育に対する取り組み方が正反対に思え、生徒に対する考え方と教育観ではぼくは I さんをひそかに批判していた。ぼくは夕方下校時間が過ぎても、生徒と新聞や文集を作ったり、討議をしたり、歌を歌い、フォークダンスをすることもあった。しかし、I さんは、授業以外では生徒とともに何かをすることはなかった。
 このような I 教諭が、ある日、
 「ルソーの『エミール』を読むといいよ」
とぼくに言った。ぼくは、まだそれを読んでいなかった。I さんの教育観がどんなものなのか、日ごろの彼の姿からは共鳴するものがなかったから、「エミール」の推薦がどういうところから出てきたのか、疑問しきりで、一度「エミール」を文庫本で買って読み始めたが、I さんの意図がよくわからなかった。「エミール」を推薦するなら、彼の教育に反映するものがあるはずだがと思う。はたまた彼がそれを言ったのは、ぼくの教育観にたいする忠告があったのかもしれないとも思う。I さんの「エミール」推奨は謎だった。
 ぼくは今、半世紀も経って、そのことを考えている。