ブッシュマン、永遠に


 世界のどの民族も、グローバルな文明の変遷に翻弄されて、その民族なりに生き方を変えざるを得なかった。アフリカ・カラハリ砂漠少数民族ブッシュマンも、長い長い歴史を生きてきた狩猟採集生活が破綻し、政策によって定住という生活を強いられてきている。ブッシュマンの研究をしてきた田中二郎(人類学者 京都大学名誉教授)が、「ブッシュマン、永遠に。 変容を迫られるアフリカの狩猟採集民」(昭和堂)を、哀切の想いをもってつづっている。

 「諸民族の大移動と、ヨーロッパ人の植民地支配の結果、ブッシュマンカラハリ砂漠の奥地に追いつめられて、かろうじて少数が生きながらえた。しかし、この地においても、彼らは20世紀後半の独立国家形成と経済や情報のグローバリゼーションの波の中で、従来の生活様式、経済、社会の枠組み、価値観の変更を余儀なくされ、固有の文化を喪失しかねない危機に瀕している。
 ブッシュマンはかつて動物を狩り、植物を採取し、自然の素材をたくみに利用して道具をこしらえ暮らしを立ててきた。カラハリの自然は荒々しく粗野で、人間が生活する場としてはけっして安逸なところではない。雨量は年間400ミリ程度で、旱魃の年には150ミリしか降らないこともある。夏には45度を超す酷暑になるかと思えば、冬の夜には氷点下10度ちかくまで気温が下がり、夜ごとに霜をみる。
人びとは100種類ばかりの野生の植物を採集して食物とするが、10月から11月にかけてのもっとも暑く乾いた季節には、草木はすべて枯れはて、頼みの綱となるのは、ウリ科植物の根っこだけとなる。
 動物の肉はおいしいし、ブッシュマンがいちばん好みとする食べ物であるが、そもそも動物の密度はそれほど高くないうえに、弓矢やはね罠(わな)や、犬の助けを借りたつたない狩猟法では、獲物の入手はそれほど簡単なものではない。
厳しい自然のなかに溶けこんで生活を営むためにブッシュマンがどれほど見事な適応をしてきたか、その具体例を挙げれば枚挙に暇がない。彼らはすばらしい観察者であり、現実主義者であり、いかなる情況にも素直に対処できるオポチョニストでもありつづけた。
 いま最後の生き残りのブッシュマンたちの世界に、重大な危機がもたらされている。千人以上というかつて経験したことのない大集落が出現し、社会関係は、かつての具体的、直接的な人的つながりから、巨大な数と非現実的な集団的抽象へと移行しつつある。狩猟採集経済は破綻し、配給と年金に依存せざるをえない現金経済の世界へと足を踏み入れた。平等分配の基本原理はその成立基盤を奪われ、価値体系そのものが根本的な変革をせまられている。
 ブッシュマンが何万年にも及ぶ悠久の歴史を経てカラハリの自然のなかで築きあげてきた絶妙の平衡関係で成り立たせてきた生活を、定住化政策は瞬時にして突き崩す、深刻な矛盾に満ちたものであり、その導入はあまりにも性急なものであった。」

 このような「文明の進歩」と言われているものが、世界中で、人間の尊厳を破壊して進行し、アイデンティテイを傷つけ、格差を広げてきた。そして自然と融合した生活が消えていく。