子どもたちは怪談が好き(1)

授業のあいまに、たまに怪談をすると子どもらは喜ぶんだなあ。
でも、そう何回もするわけにはいかない、ネタに限度があるから。
山の話も、子どもらにとっては未知の不思議譚だから、興味津々、真剣な顔をこちらに向けて聴いている。
山の頂上で雷に遭った話、山の動物の話、雪山の不思議、
子どもらは眼を輝かせて聴く。
授業の時間にそんな話をしてもらっては困る、と今時の親や管理職は苦情を言うかもしれない。
狭量な、目先のことしか見えない人が、教育現場に影響を与えているのも困りものだ。
いつもそんな話をするわけではない、たまにするから、子どもらは楽しみにもする。
子どもたちに物語を語れる教師は、子どもたちの心に夢を育てるし、
子どもらと教師の距離を近づける。
親も同じ、親が我が子にファンタジックな物語をしてやることができるならば、子どもの感性は豊かに育つ。


ぼくが小学生4年生だったとき、担任の松村貞一先生は、ときどき恐い話をしてくれた。
子どもらは松村先生が大好きで、尊敬していた。
師範学校を卒業して赴任してきた松村先生は、教室に入ってくると独特の語り口で話を始める。
その一つに、学校の怪談があった。
宿直の夜、教室からオルガンが鳴り出し、階段を上って見にいくと、そこにはだれもいなかった、
宿直室に帰る途中、階段の段数を数えると、行きのときとは違っていた、
宿直室で寝ていると、胸が苦しくなり、眼を覚ましたら天井が体を押しつぶしそうになるほど下りてきて、おまけに血が滴っている、
松村先生は微にいり細をうがち、恐ろしい顔をして語る話は真に迫った。
あるときは、話の途中で先生の創作である地震が起こった。
教卓をがたがた揺すり、「地震だあ」と先生が叫ぶ。
子どもたちは、恐怖で顔を引きつらせ、教室を出て運動場へ走った。
運動場に出たところで、やおら先生はみんなを並ばせ、体操の指導を始めた。
松村先生が、小川未明の「赤い蝋燭と人魚」の読み聞かせをしてくれたことがある。
体全体で聴いていて、全身に寒気がした。
もう一人、6年生のときの担任の北西先生も、話がうまかった。
当時の社会風潮をおもしろおかしく織り交ぜながら先生が話すと、クラスは爆笑の連続だった。
その学校には、児童文学を語って子どもたちをひきつける、もう一人あこがれの先生もいたのだが、残念ながらその先生には一度も教えてもらえなかった。


こういう先生たちが小学校にいたから、ぼくも教師になったとき、教室でときどき怪談や山の話、不思議譚をするようになった。
山の話は、体験談が中心で、その一つに「夜明け前の雪山で見た七つの光」がある。(つづく)