短い春


 ぼちぼち田んぼに水が入りだすころだ。自転車で田んぼを見回っている人と挨拶を交わす。
 「今日は寒いですね。昨日は7月上旬の気温で夏でしたねえ、それが今朝はまた冬ですね」
 「山に雪降っていますよ。これが信州ですよ」
 里山北アルプスも雪雲がおおっている。
 知らない人でも、野道で出会えば挨拶をして、少し会話すると、その人と近くなり親しくなる。一言会話する、これがいい。
 おじさんは、これが信州だと言った。なるほどと思う。穏やかな日があり、とつぜん嵐が来る。
 野道で出会えば、知らない人でも挨拶を交わすのはいいものだ。挨拶を交わさないと、なんだか互いに異常な人のように感じる。
 17歳で始めて北アルプス剣岳に登ったときのこと、弥陀ヶ原から山道を行くと、上から下りて来る人たちと次々挨拶を交わすのに、おどろいた。人が多いと、挨拶の回数はかなりのものだ。これが山人のマナーなんかと、そのときは新鮮だった。稜線の単独行同士が出会えば、会話になる。互いに歩いてきた山の情報を交し合う。
 「小屋までは2時間あれば行けますよ」
「 水場はね、次の鞍部から左に下ればあります」
 二人並んで腰を下ろし、小休憩をすれば、景色もいちだんと美しい。

 夏から冬、冬から夏、短い春を望三郎君も地球宿通信で心配していた。
「春が来て嬉しい一方、春が早く進むのは農家さんにとっては冷や冷やものです。
りんごの花の蕾も膨らんで、この一週間以内に咲き始めそうです。
開花後に寒さが戻り霜が降りると枯死してしまい、実がつかなくなるのです。
今朝は霜が降りていて、りんご畑では霜除けの扇風機がブンブンと音を立てて回っています。
昨年は最後の遅霜が5月13日にありましたが、今年はどうでしょうか。
僕もブルーベリーの樹が120本ほどあり、ちょっと心配です。
せっかく種から育てた野菜苗も霜にやられてしまうので、
遅霜が過ぎてからの定植にします。種まきもそれから逆算して蒔いています。このように天候を鑑みながらヤキモキする農作業シーズンが始まりました。
今年もワクワクドキドキの素人農人でやっていきます。」

 我が家も、レタス、キャベツ、ネギの苗を植え、コマツナチンゲンサイの芽がぽちぽち出てきたところだが、歯抜けのようになっている。望三郎君にもらってきたブルーベリーの剪定枝30本ほどを挿し木した。これは根付くかどうか、望三郎君は、
 「1本でも根付けばもうけもの」
と言った。そんな確率だ。
 ジャガイモの種芋植えとトマトの種まきはもうやらねばならない時季なんだが、手がまだつかない。去年黒豆を栽培した畑の横にあるクルミの大木1本が伐採されていた。伐られた木は、幹や枝を分断してどかんと積み上げられている。次の冬の薪ストーブ用にほしい。お家に行ってみた。山羊を飼い、鶏やクジャクもいる農家は、昔からのなつかしい匂いがした。
 「あのクルミ、いただけませんか」
 去年から顔見知りになり、何回かご夫婦と話を交わしたことがある。
 「どうそ、どうぞ、全部もっていっていいですよ。あれは老木になったから伐ったんですよ」
ということで、これから段取りをして、チェーンソーで短く切って運ぶことになる。この作業、ひとりでやるが、時間がかかりそうだ。やらねばならないことが、山積してきた。短い春が吹っ飛んでいきそうだ。