大川小学校の、悲劇のなかの謎


 直接その人に会ったわけではない。震災後にときどき放送されたドキュメンタリー映像で知った人だけれど、その人がどういう人か、映像から伝わるものが大きかった。
 その人は中学校の国語の教師だった。あの3.11の大津波によって、小学生だった娘を亡くしていた。彼は保護者と教育委員会との話し合いの席で、絞り出すような心の声で語っていた。的を射た論理と誠実な人柄がぼくの心に強く残った。
 宮城県石巻市立大川小学校に、その人の娘さんは通っていた。大地震が起こり、津波が襲ってくることを予知した大川小学校の子どもたちと先生は運動場に出て、避難しようと待機していた。すぐにでも逃げるべきであったのに、教師たちは50分も校庭で子どもたちを避難させずに待っていた。避難を始めたときには、津波は迫っていた。そして子どもたち74人と教師10人が津波に巻き込まれて死んだ。
 50分もの待機。何を? いったい何を待っていた? なぜ動かなかった? なぜ教師たちは動かなかったのか? 
 娘を失ったその中学校の教師は、佐藤敏郎さん。大川小学校の児童の保護者でありPTA会員でもある。その後、佐藤さんはそこに潜む謎を問い続けてきた。
 10月6日の新聞「オピニオン欄」に、佐藤さんへのインタビュー記事が出ていた(朝日)。佐藤さんは中学校の教員を止めて、「小さな命の意味を考える会」の代表になっていた。その人の生き方は大きく変わっていた。

 インタビューのなかで佐藤さんが語っている。
 ――あの子たちはなぜ死ななければならなかったのか。いまだに、わからない。教育委員会は生き残った子どもたちから聞き取りをしたにもかかわらず、記録を廃棄していた。第三者の検証委員会は、5700万円もかけて調査したものの、真因に迫ろうとしたようには見えない。
 生き残った子どもたちによると、校庭の裏にある山に逃げさせよう、と何度か口にした先生がいた。でも、その声は教師たちの意思にならなかった。教師たちはいったい何に縛られていたのか。
 生き残った先生が1人だけいた。その人が「山へ」と呼びかけた先生だった。その先生はいまも教壇に立つことはできず、家にこもりがちになっている。
 真相解明をめぐって、市教委は責任逃れの、組織の言葉ばかりで、子どもの命の話にならない。あのとき、子どもたちはどんなに怖かったか。目の前で子どもを亡くした先生たちはどんなに悔しかったか。
 あの日、先生たちは子どもたちを何とか助けたいと思っていた。なのに助けられなかった。もう1人、覚悟をもって「山へ」と言えていれば、みんなで議論できていれば……。でも、できなかった。
 想定外や初めてのことが起きたとき、いろんな意見が出るのは当然だ。ただ、違う意見は批判と取られてしまう。自由に語りづらい。そんな日常の延長に、あの校庭があったのではないか。
 生徒にとって大事なのは何か。学校はいかに必要のないものに囲まれていたか。見た目とか形式とか日程消化とかにとらわれていないか。上の指示やマニュアルに従っていればいい、と思ってはいないか。それで、いざというときに、大切なものを守れるか。
 日本のいろんなところに『大川小の校庭』がある。だからこそ、空白の50分を解き明かすことが大事なのだ。
 校舎は震災遺構として保存されることが決まった。
 残したい、と最初に声を上げたのは、間一髪で生き延びた当時11歳の男の子だった。彼は大川小に通う妹、母親、そして祖父を亡くしている。誰のために残すかといえば、50年、100年先に生きる未来の人のため。
 何か言うと、すぐに「遺族が騒いでる」となって、対話が断たれてしまう。考えが違うだけで、「対立」と報じられる。意見が違うからって敵じゃない。言葉を重ねるうちに何かが見えてくる。市教委も先生も遺族も裁判官も記者も、みんな同じ船の乗組員なんだ。そこには、あの子たちも乗っている。――

 
 「もう1人、覚悟をもって『山へ』と言えていれば、みんなで議論できていれば……。でも、できなかった。」
 なぜそうならなかったか。
 普段から教師たちは、自分の意見を率直に会議の中で出してきたか。異なる見方や判断、考え方を、会議の中で提起し、協議して最良の道を選択できる学校組織にしてきたか。教育行政はどうだったのか。
 意見を出す力、異論を発掘する力、他者の意見を聞く力、教育現場はその力を、そして技術を鍛える必要がある。沈黙する職場では、非常時に強い力、子どもを守る力は育たない。非常時の場合は普段以上に上からの指示を待ち、指示が出るまで動かないという状況が生じる。自己の判断を意見として出すことを控えがちな、マニュアルに忠実な人間の多い組織は危機を越えられない。一人の先生が「裏山へ逃げよう」と言ったとき、「そうしよう」と判断して呼応する先生がもう一人そこにいたら、教師たちの意思が形成されただろう、と佐藤さんの言うのはもっともだと思う。
 この教育委員会の使命感を失った無責任体制は、すでに子どもの命をあずかることのできない機関になってしまっている。こういう組織が日本に蔓延しているのではないか。最近顕著なのは東京都庁と都議会だ。退廃の根本に、リーダーの薄弱さがある。そういう組織の長が職員の人事権をにぎって、都合のよい人事を行なってきた。上意下達の態勢と、出世手段となった人事の道、それがはびこるところでは、ひそかな統制が進み、異論や対論、新たな発見、創造が影をひそめる。
 「日本のいろんなところに『大川小の校庭』がある。だからこそ、空白の50分を解き明かすことが大事なのだ。」