震災地に学ぶ修学旅行

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 ぼくはこの提案に賛同する。池澤夏樹の提案である。(2月5日 朝日新聞

 それは去年の十一月に仙台市のシンポジウムで、池澤が提示した修学旅行のプランだ。

 南海トラフの巨大地震が近未来に起こると予想されている。起きれば恐ろしい結果を引き起こすことも、メディアは予報している。しかし、人々は恐れながらも、対策は行政任せになっている。今日明日に起きることでもないだろう、来るか来ないか分からないものは心配してもしょうがない、多くの人はそう考えている。

 池澤は考えた。高校生の修学旅行で東北の大震災被災地に行くという計画。彼の計画とは・・・。

 〇 飛行機で仙台空港に降りる。一瞬にして水浸しになって閉鎖された空港をターミナルビルの屋上から観察し、当時を想像する。

 〇 つづいて海沿いの荒浜地区に直行し、残された荒浜小学校の建物を見る。この四階建ての校舎が多くの人命を救ったことを自分の目で確かめる。高校生たちは数名ずつに分かれ、荒浜地区の各所に散らばり、決められた時刻に地震が起きると仮定して、時刻が来ると、生徒たちは荒浜小学校四階めざして避難する。このとき、実際の地震のときは、非難するかしないかは、自分が判断するしかないことを実感する。

 〇 石巻市に移動する。大宮町の避難タワーに登る。高台まで遠いところの人は、このような建物が役に立つことを確認する。

 〇 多くの児童と教師が亡くなった大川小学校へ行く。小学校は震災遺構として保存するかしないかをめぐって大きな議論になった。その小学校の遺構に立って、命が助かるにはどうするか、周辺を観察し考える。裏は山なのになぜ子どもたちはそこへ逃げなかったのか、教師はなぜ間違った指示を出したのか、「大川伝承の会」の保護者の話を聞き、多くの子どもたちが津波に飲まれた「三角地帯」に行く。

 〇 女川町に行く。西から峠を越えて入る国道の途中から、下の現支援学校のあたりまで水が来たことを実感させる。

 〇 陸前高田市に行く。気仙川に沿って5キロ先まで津波が来たことを教える。避難所と仮設住宅を見る。仮設住宅で一泊体験も考えられる。

 〇 大船渡市に行く。ここでは市役所も病院も新聞社も高台にあって津波の被害はなく、それはチリ津波による被害を教訓に活かした結果であることを学ぶ。

 〇 釜石市に行く。小中学校の子どもたちから死者を出さなかった避難の様子、「津波てんでんこ」の教育と訓練を体験者から学ぶ。

 

 池澤の提案はざっとこんな修学旅行である。「高校生に体験的に学習させることが大事だ。いつの日か、彼らが避難と耐乏と再建の主役になるかもしれない。人は惨事を忘れたがる。目前の楽しみに走る。記念館を作って待っていても人は来ない。」

 と池澤は書く。

 デジタル空間の仮想体験ばかりの昨今、修学旅行も生徒の人気を得るものとなっている。実際に見ろ、体験しろ、考えろ、痛みを感じろ、魂で感じろ、そういう修学旅行を実施することは今の学校の実態からすれば至難の業かもしれない。だからこそ、こういう修学旅行を考える必要があるのだ。

 改革しようとする教師よ、保護者よ、出でよ。