フラッシュ・モブというサプライズ

 人間には人を驚かせておもしろがる性質がある。
 「びっくり箱」というおもちゃがある。人を驚かせようと、かわいい箱に仕組みをつくる。イベントで作られる「お化け屋敷」は、驚かせる楽しさと驚く楽しさを目的にした仕掛けである。
 人を驚かせる、遊びとしてのいたずらは、子どものころも大人になっても、尽きることはない。いたずらは、人を怒らせることもあるが、悪気のないいたずらは、大笑いで終わる、平板に過ぎて行く日常のなかに、突如異変が仕組まれて、脳に刺激が与えられ活性化する。そういう性質のものでもある。4月1日のエイプリルフールはそれが公認された?サプライズの祭りとでも言えるだろうか。
 ぼくもよく人を驚かせて、楽しんだことがあった。いたずらを悪戯と書くように、よくないことという要素を含んでいて驚かされた人にとっては迷惑行為になることもある境界線上の行為。人それぞれ受け取り方が異なる「いたずらサプライズ」だが、笑いと怒りの両端があるとしても、これを社会から消すことはできないし、もし無くなるとしたら愉快要素が少なくなってしまう。
 フラッシュモブという現象が起こっていることを知って、インターネットのユーチューブをのぞいてみたら、やってる、やってる、日本でも世界でも「サプライズ」が行なわれている。
 東京のスクランブル交差点で、青信号になったとたんに、スクランブルの真ん中に突如現れた数人の若者が音楽に合わせてダンスを始めた。なんだこれは、と人びとが驚く。青信号が終わるとさっと彼らは群衆の中に消えてしまった。空港のロビーにいつのまにか集まってきていた人たちが楽器の演奏を始めた。どこのだれだか、彼らはそれぞれオーケストラのメンバーとしてその場で演奏し、終わればたちまち消えてしまう。電車の中でフルートの音が鳴り出し、だれだ?と乗客が不思議そうにその方を見ると、あちこちから楽器を出した人が弾きだして合奏になっていった。パリで、アントワープで、アムステルダムで、マドリードで、デパートに登場し、カフェに現れ、駅構内が舞台になる。合唱が突如起こり、ダンスが始まり、オペラのシーンが出てくる。誰かがグループで計画し、ある時ある場所で、パフォーマンスを開始する。企画した人たちが仕組んだことであるが、その場でそれを行なうことについての許可を得ている場合と得ることなしのゲリラ的サプライズとがある。一階で、客たちの中にまぎれていた人が歌う、楽器が鳴りだす、あれよあれよと見る間に階段にいた人たちが歌いだし、二階三階の手すりにいた人たちが歌い、大合唱となった。これは、どう考えても、デパートの店主も計画に加わっているとしか思えない。客たちは大喜びだから。
 短時間の一過性のこのパフォーマンスは、漫然とした日常に新鮮な活を入れる。フラッシュモブという社会現象。フラッシュ(瞬間)、モブ(群れ)。規則規則で、きまじめで、ユーモアを失い、けだるく、疲れた現代社会に、一陣の涼風を送り込み、笑顔を生み出す、そんなサプライズ。大目で見ながらこの社会現象を楽しみたい。やがて交通規則がどうのこうの、迷惑行為どうのこうのと、言い出す人が出てくるだろうが、許容性・寛容を失った社会に対するカンフルにもなる。
 お坊さんたちの集団が突如現れて、街の真ん中で祈り、姿を消すなんてのもあるとおもしろい。