人形劇「ビートルズの公演」


今朝は地区の住民総出による水路掃除だった。



 教師になって初めて赴任したのは大阪市立淀川中学校だった。22歳から28歳まで、ぼくは学校と山を舞台に子どもたちに没入した。一日の授業が終わっても、夕方5時の下校時間まで子どもたちと一緒に、ほとんど毎日、新聞を作ったり文集を印刷したり、遊びや歌や話し合いに熱中したりした。休日は子どもたちと山に登った。ぼくの教科は国語だったが、免許をもっていたこともあって一年間だけ美術を教えたことがあった。教師が欠員になったからだ。そのとき、ぼくは人形芝居をみんなでつくろうと生徒たちに呼びかけ、美術の時間はその創作をした。生徒はいくつかのグループに分かれ、ストーリィから人形の制作までいっさいを子どもたちに考えさせ、完全オリジナルの芝居づくりだった。教えていたクラスは8学級だったから、人形劇団は10数グループできた。その完成をまって、人形劇大会を放課後に催した。すぐ近くを流れる淀川堤が教室の窓から見え、秋の日ののどかな午後だった。
 発表当日、ぼくはステージをつくり、彼らの発表を観客席に座って見守った。子どもというものは、実に思いがけない力を発揮するものだ。あるグループが行ったのは、「ビートルズの公演」で、その傑作にはぼくは舌をまいた。「HELP」の曲が流れ、エレキギターを持ったビートルズの人形が演奏する。歌う人形は、声を高くあげて伸ばす場面で、ビートルズ同様に首を伸ばして伸び上がる。ぼくの目ん玉も口も、開きっぱなしだった。この発表会を父母や他の教師たちにも見てもらえるものにしなかったことを後で残念に思った。子どもはすごい。彼らの創作は、自由度の高いところでは思いもしないものになる。
 ぼくはあの体験をしてから、子どもたちの持っている可能性を最大限引きだし、伸ばしたいと思うようになった。だがそれに反して、自己矛盾もまたあり、自分も抑圧者になっていることに歯ぎしりして、自己を撃ちたくなることもあった。

 ぼくは、以前このブログに書いたことがあったが、それは現代の子どもについて竹内敏晴が書いている文章と、1925年に魯迅が書いた文章だった。
 まず魯迅の文章。
 「今日の教育なるものは、世界のどの国にしろ、環境に適合する道具を数多く作る方法にしかすぎぬのが実情です。天分を伸ばし、おのおのの個性を発展させるなどは、今はまだその時代になっていないし、おそらく将来、そういう時代が来るかどうかもわかりません。私は、将来の黄金世界にあっても、おそらく反逆者は死刑に処せられるだろうし、それでも人々はそれを黄金世界と思っているのではないかと疑います。」
 この文章をふまえて竹内敏晴はこう語りかける。
 「この絶望に抗い、反乱したからだを内的な調和にまで持ち来たし、『人間に成る』仕事をねばり強く手助けしようとしている教師たちが各地にいることも、多少は私も知っている。彼らは、その意味では、この、からだの荒野であるところの日本の教育界に、いわば魂の泉をひらく先駆者たちであるといえるだろう。今こそ教育者ということの意味が、明治以後はじめて根底的に問われているのだと言ってもよい。」