春休み、いっぱい遊ぼ

 道で学校から帰ってくる小学生に出会った。4人はランドセルのほかに大きな画板のようなものを持っている。
「お帰り。大きなのを持っているね。なに?」
「絵だよ」
「ああ、学校で描いたの?」
「うん、あしたから春休みだから」
「そうか、春休みかあ。いっぱい遊べるね。いっぱい遊ぶんだよ」
「遊べない」
「どうして?」
「宿題あるもん」
「そうかあ。でも遊ぶんだよ。外でいっぱい遊ぶんだよ」
 子どもたちの三人は4年生ぐらい。一人は5年生かな。
「外では遊ばないよ」
「あそこにグランドがあるじゃない。サッカーとか野球とかしないの?」
「まえにしたことあるけど、いまはしない」
「じゃあ、基地づくり」
「草を刈られてしまったから、できない」
「じゃあ、山か川へいく」
「行かないよ。ぼくは、川は一度夏に行ったよ」
「じゃあ、家の中でゲームかい?」
「ぼくの家、ゲームないよ」
 ゲームがないと答えたのは上級生らしい子だった。
 春休みは勉強から解放されて野山や川や広場で遊びほうけたのは、過去のことか。遊びが夢にまで出てくるほどだった子ども時代が、今はさびしくなった。無限の創作遊びに子どもたちはチャレンジし、楽しんだものだが。

 我が子が幼かったころ、よく童謡のレコードをかけた。2枚持っていた童謡のLPレコードには、たくさんの歌が入っていた。そのなかで親のぼくも大好きな歌があった。それは「ジャングルジムのうた」という歌で、歌詞がまど・みちおの作だった。さすがはまどさんだ。曲がまたいい。ジャングルジムを上っていくところ、その過程を「のぼれ、のぼれ、のぼれ」と繰り返しながら、音階があがっていって、ジムのてっぺんにいたったら「ヤッホー」と叫ぶ高揚感。
 肉体の行動と自然との一体、そして精神の解放が、歌いながら感じられる。小さな子どもたちが、より高くへと自力でひとつひとつ上りながら、新しい世界へ上がっていく。その感覚は肉体感覚とどうじに芸術的な感覚の体験でもあるのだ。昔の遊びには、芸術があり科学があり、物語があった。
 しかし、こういう遊具も、危険だと退けられているのだろうか、保育園、小学校、児童館で見かけなくなった。

       ジャングルジムのうた
               まど・みちお作詞/諸井誠作曲
   よじって のぼれ
   くぐって のぼれ
   のぼれ のぼれ
   ジャングル グルグル ジム
   のぼりつめたら てっぺんで
   やっほー
   やっほほー
   つめたい そらに
   ほっぺた つけろ