広島県江田島市の実習生による殺傷事件を考える



                 穂高東中学校の校庭


 またも不幸な事件が起こった。広島県江田島市のカキ養殖場での、中国人実習生による殺傷事件である。受け入れ事業主の社長ともう一人が死亡した。実習生は昨年9月ごろ日本に来たというから、半年になる。順調な実習生活であれば、仕事にも慣れ、会社の人ともコミュニケーションがとれるようになってくるときである。それがこのような悲惨な事件を起こすということは、精神的に追いつめられていたのであろう。実習生を受け入れる会社は、安い賃金で、熱心に働いてくれる労働力を求めたい。しかし地元にはもうそういう人がいない。江田島市も過疎で人口が減り、高齢化社会になり、カキ殻から実を取る重労働に従事してくれる人は見つからない。仕事を成り立たせるためには、外国人の実習生を受け入れるしかなかった。そうしてやってきた外国人、彼らの暮らしはどのような状態であったのだろうか。
 実習制度に基づいて日本に来る外国人は、一定の時間数の日本語学習を義務づけられている。その結果は、優秀な人はかなりの会話力を身につけ、その逆に日常会話の基礎をこなすことのできない人もいる。そうした多くの実習生は、日本の職場がどんな仕事でどんな環境なのかまったく想像もできないでやってくる。そして実にさまざまの実習先に入る。好条件・好環境の職場でフレンドリーな慕われる企業主もいるし、実習生に反感を抱かせる企業もある。厳しい条件の職場でコミュニケーションがとれないとなると、互いに相手の気持ちを理解できず、対立感情も生まれる。日本語を勉強したいと思っても、小さな業者は残業が多く、労働条件も厳しく、習いに行く余裕なぞない。悩みや不満、疑問を吐き出す場もないなかで3年間耐える。日本にいながら、観光やレクレーションの旅行に一度も行ったことなく、母国に帰った人も居た。

 4年前までぼくは、研修制度に基づいて外国人に日本語と日本文化を教える活動に不定期で参加していた。活動の入らない在宅期間のことだった。夜の10時ごろ家に電話がかかってきた。
「前に、研修所で一ヶ月教えてもらった周です。先生、おぼえていますか」
2年前に企業に入った研修生だった。どうしたのかと聞くと、いま会社から逃げて名古屋にいると言う。訳をたずねると、会社の宿舎の2階に住んでいたが、不注意で部屋で水道水をあふれさせ、その水が下の部屋に漏れて被害を与えた。会社は、200万円を弁償するようにと言い、給料はそれに充当するという。周は自分の受け入れ機関に相談したがどうすることもできず、思い余って夜逃げしたのだと話した。
「それでいまどうしているの?」
「働いています」
 どんなところで働いているのか、危ないことにならないか、気がかりになって聞くが大丈夫だと答えるばかり。居場所を言わなかった。ただ楽しかった研修所の生活を思い出し、先生の声を聞きたかったと言って電話を切った。
 研修所で周は夢を語ったことがあった。3年間日本で働いて帰国し、蓄えた資金で店を持ちたいと。
 彼は危険な状態に陥っている。なんとかできないか。だがぼくには解決策は浮かばず、行動の取りようもなかった。その後、彼からの連絡はない。無事国に帰っただろうか。今思えば、彼はぼくに救いを求めて電話してきたのではないか。ぼくは彼を救うことのできなかったことを今も悔いている。

 奈良の御所市に住んでいたとき、市民会館で「国際フレンドの会」という日本語教室がボランティアによって開かれていた。ぼくと家内は教師として参加した。毎週日曜日、夜、地域の研修生、実習生がやってくる。女性が多かった。やってくる人たちのなかには、日本語をもっと勉強したい、能力検定に合格したいという目的も持っている人がいたが、日本人と楽しく交流したいというのもあった。経営者のひどいやり方を訴えたい人たちもいた。労働者としての権利を踏みにじられていることに抗議したために帰国させられたという話も聞かされた。スタッフは、話を聞いて憤慨し、打つ手があるなら売ってみようと相談するのだった。
 そういうこともあったから、経営者のなかには研修生・実習生を日本語教室へ行かせたがらない人がいた。他の企業の研修生とも会わせたがらなかった。
 いま安曇野では、ボランティア団代の始めた日本語教室が、教育委員会の社会教育に組み込まれて活動している。市内で4箇所、内実は完全な無償ボランティア活動である。ぼくが教えているところは、日曜日の夜が学習時間になっている。中国、ベトナム、フィリピン、パラグアイ若い人たちが来る。ここでは日本語、日本文化、地域社会を学び、異なる国の人と交流し、心を開き解放する。コミュニケーションを深めて、相談したいことがあれば指導者と話しあう。
 広島の事件を起こした人は、故郷に家族を持っているだろう。幼い子どもがいるかもしれない。仕事、仕事で、追い立てられ、叱り飛ばされ、その鬱積した思いを誰にも出せなかった。閉ざされた重圧の世界は、耐えられない。人を病ませ、破滅に導く危険をはらむのだ。もし気持ちを聞いてもらえる場があったなら、詰まった想いを出せる人がいたら、こういうことにならなかったと思えてならない。日本語教室のような場があって、そこが心の交流サロンであったなら救われたかもしれない。