不寛容社会


 福島から高崎に自主避難した家族がいた。家の前に車を止めていた。通りがかった子どもが、福島ナンバーを見て、
原発が来てる」
と言った。それからこんなことがあった。車のフロントガラスに、紙がはさまれている。取って見ると、
「福島に帰れ」
と書いてあった。
 各地で避難してきた子どもがいじめにあっているとニュースがこれまでも何回か報道された。このようなことが起きるのはなぜだろう。何が原因にあるのだろう。
 避難してきた人は難民、元住んでいたところでは生きていけない。危険があるから安全なところを求めた。
 人間の歴史は難民の歴史だ。
 国家というものがまだ生まれていない時代が長く続いた。人間は暮らしやすいところ、安全なところ、食べものが得られるところへ自由に移動した。
 国家が未成熟な時代があった。国家は生まれては崩壊し、新たに国家になる時代があった。国家と国家が対立し、国家の存亡をかけて戦争する時代があった。
 自然災害も襲った。自然環境が生存に合わなくなることもあった。
 人びとは災害を逃れて移動した。そこには「難民」という言葉はなかった。
 日本の古代においても、人びとのおびただしい移動があった。難民もたくさんいた。
 百済新羅高句麗任那などの朝鮮の国から、日本にたくさんの人がやってきた。大和政権が学術や技術や思想文化を求めたという要素もあって渡来した人も多かった。そしてまた国の滅亡があって、難民としてやってきた人も多かった。さらにまた日本に理想郷を求め新たな希望をもってやってきた人もいただろう。その人たちは古代から日本に暮らし日本人となって、国や社会をつくってきた。
 寛容、受容、共生の思想と生き方が、世界中で揺らいでいる。それなしに人類は生きることができないにもかかわらず、いまだ故郷に帰ることができない人たちの悲劇がつづいている。
 
 昨日、前橋地裁は、原発事故の責任は対策を怠った国と東電にあると指摘し、避難した人たちの起こした訴訟を認めた。
 オランダでは、「難民を追い出せ、イスラムを受け入れるな」と叫ぶ極右のウィルダースの当選を国民が阻んだ。投票前に、寛容で開かれたオランダの長い歴史を祝うパレードが開かれ、憎悪の脅威が蔓延する今こそ、市民が築くグローバルなコミュニティをと、人びとが訴えていた。