忘却が無知をもたらし、無知が危機をもたらす

 日本野鳥の会からフリーマガジン「Torino」が送られてきた。初めに写真ページがある。「枕辺に聴く雪の音、鳥啼いて暁を招き」雪の修学院離宮の白黒写真、つづいて念仏を唱え、かっと見開く眼光、数珠を持つ手を突き出す修行者のアップ写真。
 ページを繰ると、藤原新也の文章が出てきた。
 <「体中に赤い湿疹のようなものが吹き出て、それが一週間くらいでおさまるのですが、そのおさまった後の皮膚に不気味な黒い斑点ができるのです。町の皮膚科に行ってもあまりそういった症例がないとのことです。それから肝機能の低下が著しい子どもがいて、医者もなぜこんな子どもの肝機能が低下しているのか、その原因がわからない」
 福島のある地域では不穏な話が飛び交っている。高線量の原発被災地区から避難してきた人々のあいだに、くだんのような身体的変調が現れているという。それが原発由来のものかどうかは証明するすべがない。
 藤原新也は、原発事故から4年目、もうすでに福島県外の多くの日本人は事故を忘却して、意識の外に棚上げしたかのように日常生活を送っているが、その陰で恐ろしい事態が進んでいると書いている。被災地区から強制的に避難させられた人々の多くは福島県内各所に散らばり、追跡調査もままならず、放射線汚染による身体変調を訴える人は因果関係を証明できないで苦しんでいる。しかし、そのことを大部分の日本人は知らない。いつのまにか忘却していた。
 このような意識的な忘却の状況が、無知という状況をもたらす。無知は、意識的に作られるのだ。
 ぼくもまたいつのまにか無知だった。何が無知だったか。それは放射線セシウム134、137を測定しただけで、線量が高いとか低いとか、除染が済んだとかと思っていたことだ。セシウム134は半減期が2年余り、137は30年、実は本当に恐ろしく、本当に測るべきはβ線ストロンチウム90やトリチウムで、ストロンチウムはいったん体に入ると骨に取り込まれ、延々と体内で放射線を出し続ける。それによって細胞が傷つきガン化する。だが、このβ線を測るには、30畳の部屋一室分の機器の設備投資が必要であり、一般的にはこのβ線計測はほとんど行なわれていない。β線の計測には金がかかるし、技術的ノウハウが要る。一般市民が測定したいと思っても、費用は16万円から20万円かかる。測定できるところも国内で2か所しかない。希望しても順番待ちで待ち時間は3カ月から4カ月。これじゃ、とても子どもを救えない。
 立ち上がったのは、いわき市の主婦たちだった。NPO法人をつくった。NPO「いわき放射能市民測定室 たらちね」の設立だ。そして「β線放射能測定ラボ」を立ち上げたのだ。
 「たらちね」のラボラトリー(研究室)では、数日間で測定し、しかも費用は数千円レベルでやっていきたい、赤字は覚悟の上でという。この会は、個人の持ち出し、寄付金、会員からの支援によって活動をつづけている。
 これが藤原新也の「原発問題1億総健忘症の中で」の記事で知ったことである。
 人間は目先のことにとらわれがちになる。今の自分の生活に意識は集中する。時間や空間が離れれば、意識も離れる。原発も離れて忘却のなかにあるようだ。
 人間は、苦しみや悲しみを超えて生きようとする。だから忘却もやってくる。
 しかし、失ってはならない危機の記憶がある。再びやって来る危機にそなえることを忘れてはならない。忘却を引きとめるのはそれを考え続ける意識だ。意図をもって強烈に忘却させようとする国家の意識操作が盛んだ。それに立ち向かうのも、自分のなかに確立していく考えであり、そして自分の意識だ。