「安曇野ひかりプロジェクト」、今年のキックオフ

安曇野ひかりプロジェクト」の主催する「夏休み、福島の子ども保養プログラム」のキックオフミーティングがあった。
 会場の地球宿へ山麓線を走った。途中シダレザクラの巨木が数本、里山の斜面に見え、枝の色づきから、だいぶつぼみがふくらんでいるようだ。
 地球宿の二間を使って、ミーティングが始まる。望三郎君と大浜夫妻が福島を視察してきた報告をした。写真を映写して、その時の様子を語る。屋内に造られた砂場があった。砂場と言えば運動場などにつくられるが、福島のそこは放射線が強く、子どもたちは外で遊べない。それゆえ砂場は屋内に造られた。屋内砂場は子どもたちや親たちに人気があり、たくさん子どもたちがやってくる。子どもの数が多いから、砂場で遊ぶのは30分に限られ、時間が過ぎたら次の子どもに交替するのだという。除染した廃棄物が袋に入れられて、累々と広場に積み上げられている。集められた除染廃棄物は放射能が高い。その置き場の前に避難者の仮設住宅があった。
 人びとは福島がふるさとだから福島で暮らす。それは当然のことだ。原発事故によって他の地へ移住するかふるさとに残るかの選択に直面したけれど、残ることを選択した人々は、状況と折り合いをつけながら暮らさねばならない。洗濯物は外で干せない。子どもたちは外で遊べない。したがって運動不足になる。そういう生活がスタンダードになっている。状況を受け入れ抑制していくことと、しかしどこかで状況から脱出してはめをはずすこととをやりながら、現状を生きている。
しかし、福島の地元では、「保養ステイ」に参加するという言葉を使うことに、参加しない人たちの中に抵抗を感じる人がいる。ここから別のところへ出かけて保養してくるというやり方に、不満というか違和感というか、ひっかかるものを抱く人もいるという。これまで参加してきた子どもたちや親にとって、「安曇野ひかりプロジェクト」の親子キャンプは、夏の一つの大きな息抜きであり、自然のなかで本来の子どもを取り戻すときでもある。安曇野キャンプはかけがえのない場なのだ。ひとつのふるさとのような存在にもなっている。
 それならば、「保養ステイ」のネーミングを変えることも検討課題だ。
 今年も8月にキャンプを行なう。これからその企画実現に向けて、ボランティアメンバーの活動が始まる。すでに資金集めの「キャンドルづくりワークショップ」が始まっている。リンゴの形をしたキャンドルは赤いリンゴに青いリンゴ。正方形のブルーのキャンドルには白い雲が浮かび、名づけて「安曇野の空」という美しくかわいいキャンドル。
 「1個600円のキャンドルを1000個作って売れれば、材料代などを差し引いて1個300円がプロジェクトの資金に回せるね」
 おう、そうすれば、30万円。福島からの往復のバス代がまかなえる、などと皮算用も出る。
 地球宿のミーティングに来ている人たちは、30代40代の人たちが多かった。プロジェクトを推進していくための資金を生み出すために、6月21日に「どっかんイベント」を開く。その計画についても話し合われた。昨年も開催された、フリーマーケット、ライブコンダート、ワークショップを今年もやろう。
 キックオフミーティングの第二部は映画「内部被曝を生き抜く」(監督 鎌中ひとみ)の上映だった。ぼくは予定があって、この映画を観るのは次の機会にまわした。
 今日の会に参加している人たちは、いろんな活動をしている人が多い。たくさん情報をもらった。
 「映画『標的の村』監督・三上智恵 制作・琉球朝日放送
 「映画『祭の馬』監督・松林要樹」
 「映画『小さき声のカノン』監督・鎌中ひとみ」
等など。来週松本の劇場で、上の二本が上映される。