生活のなかの自然をとりもどす


 

 ぼくはこの6年間、「子どもの森と川」をつくろうではないかと、主張してきた。最近提案している「樹木葬自然公園&子どもの森」構想もそこから始まった。ミミズのたわごと、蟷螂の斧、犬の遠吠え、徒手空拳、声は空行く雲に乗って消えていく。それでも言いつづければ、仲間ができて、さざなみがうねりになるかもしれないと思って、チラシをつくって心ある人に配っている。
 安曇野は自然がいっぱいだと言われる。四方は山に囲まれ、田園は広がり、家よりも高い木々が集落のあちこちにある。大きな犀川も流れている。確かに自然はいっぱいある。では、日常的に、森を歩き樹木に触れ、自然の川の流れを見つめ、小鳥や蝶、草花を楽しむ生活ができているか、という問いには首をかしげる。子どもたちは夏の朝、カブトムシやクワガタ、ヤンマを獲りにいく林は生活の場にはスズメの涙ほどしか残っていない。ホタルが飛び、魚つり、水遊びのできる自然の小川もない。安曇野の環境は完全に大人の考えでつくられ、不協和音をおこし、グランドや地区の公園以外の、自然の中で遊びが自由にできるところがない。ないと言えばない、あると言えばあるのかもしれないが、山林と居住空間の間に距離がありすぎ、登山コース以外の山林には人は入らない。入らないのは入ることができなくなっているからでもある。林道は荒れ、カラマツ、アカマツばかりでは入りたいとも思わない。一方、田園地帯と市街地には、ゆっくり寝そべったり座ったりして樹や花を眺め、空行く雲を見つめるところがない。散策が楽しめるような緑の小道は消滅している。

 自然が失われた都会では、それを取り戻そうとする。
「人類の進歩と調和」をテーマにした大阪の万博会場の跡地に、271ヘクタールの自然公園がつくられた。そうして40年がたった。今、広大なそこには、①自立した常緑樹の密生林、②落葉樹中心に、魅力ある池をスポットにした明るい林、③サバンナのようにひろがり、樹木が点在する林、それら三種の森が調和し、自然林のようになってきている。野生生物が棲息し、6年前からこの森に生態系の頂点に立つオオタカが営巣するようになった。
 京都市内、京都駅からそれほど遠くないところに、JR梅小路貨物駅と操車場があった。広さ11ヘクタール。そこが「いのちの森」になった。貨物駅廃止にともない、1994年平安遷都1200年記念事業で、その跡地を自然公園にしたのだ。1ヘクタールのビオトープもつくった。初めに119種の樹と31種の草本が植えられた。その後自然に生えてきた樹と草がたくさん見られるようになった。2007年には3979本の稚樹が見られた。下鴨神社糺の森のようにエノキ、ムクノキが多く育ってきた。多種多様なキノコが生え、なかにトリュフも見つかった。ルリビタキヤマガラカワセミ、キツツキの仲間アリスイなど26から34種の小鳥がやってきた。コゲラ、モズ、メジロシジュウカラなど16種が繁殖し、15年間の総計では28科61種がこの森に住んでいる。チョウは38種が確認されている。
 このことは、「景観の生態史観 攪乱が再生する豊な大地」(森本幸裕編 京都通信社)に詳しい。