帰国するリー君の発見

 「自分は短気だと気がついた。3年間で気がついた。自分は気が短いと分かった」
と、リー君は言った。初めてそれに気がついたのだと言う。眼を光らせて、この言葉を言う。単純なことのようで、彼にとっては重要な発見であったのだと、正面からぼくを見るまなざしから感じた。自分は短気だと気がついた、それは単純なことではない。あと一月あまりで日本を去って帰国の途につく今、万感の思いがこもっている。
 リー君たち4人は、農業実習生という資格で3年間、農業の生産団体で働いてきた。農産物を作る仕事だから、勤務時間は定まらない。残業は日常的だった。3年前、地元の公民館でボランティアが日本語教室を開くと、4人はやってきた。だが、残業があれば、来ることができず、ときどき休んだ。日曜日午後7時から9時までの教室に、時には夕食抜きでやってくることもあった。
 我が家に、他の会社で働く教室仲間、オーさん、トウさんも一緒に遊びに来たことがあった。六人は律儀に手土産を持ってきた。四人の持ってきてくれたのは冷凍餃子だった。
 昨年の夏、四人は2級の資格を目指して日本語能力検定試験を受けた。その結果が出る前に3年目を向かえていた二人が帰国した。試験はオーさん、トウさんも受けた。試験結果、リー君は惜しくも数点足らずで合格を逃した。オーさん、トウさんは2級に合格した。その後分かったことは、合格は先に帰国した二人のうちの一人だけだった。
 そのことが原因になったのだろうか。リー君は教室に来なくなった。もう一人は、もっと前から来なくなっていた。ぼくは何度かリー君の寮に電話をしたが、教室に行こうという意思は起きなかった。2級に合格したオーさん、トウさんは次に1級を目指して勉強を開始していた。
 来なくなったリー君、あれだけ熱心に勉強したリー君なのに、どうしたのだろう。その後にも再度受験チャレンジの機会があったのに、そのチャンスもリー君は放棄した。何らかの感情が、この放棄という行為に現れている。ぼくは、日本語教室での教え方も関係していないかと思った。数人のボランティア教師が教えてきた、その指導と計画性も気になった。
 この夏、リー君たち二人が帰国する。オーさん、トウさんも帰国する。ぼくは、リー君をこのまま教室に来ないで帰国させるわけにはいかないと思うようになった。
 春の初め、リー君と電話で話した。
 「あれだけ一生懸命勉強してきたのに、最後になって、教室にも来ないで国に帰っていくのか、さびしいじゃないか。残念じゃないか。最後までよく努力したなあという気持ちを持って、国に帰っていってほしい。最後を、がんばろうや」
 ぼくの説得を聞いていたリー君は、はい、と応えた。行きますと言った。それから彼は毎回出席するようになった。ぼくは彼とマンツーマンで、二級のテキストを使って勉強をしている。教材の反応は優秀だった。
 「リー君はなかなか力がついているよ。よく理解しているよ。惜しいことしたなあ。どうしてもう一度チャレンジをしなかったの」
 ぼくは自分の残念な思いを彼に率直にぶつけた。そうしたら、この言葉が帰ってきたのだった
 「自分は短気だと気がついた。この3年間で気がついた。自分は気が短いと分かった」
 10点未満の差で、惜しくも2級に合格できなかった。その挫折感に何らかの感情がくっついて、勉強を拒否した。リー君は、その感情に左右されたことを自覚した。実習のなかでも、受け入れ企業に対する感情のこじれがあったかもしれない。その感情のもつれが、怒りとなったこともあったかもしれない。怒る自分、気力を失った自分、それを彼は、自分は短気だったと表現したのではなかったか。
 言葉では表現できない、自分という人間の発見があったのだと思う。
 22歳、彼は帰国してから、故郷で日本語能力検定試験2級にチャレンジすると断言した。故郷は洛陽、彼は故郷のキャンバスに何を描いていくだろうか。