死後に生きる夢のプロジェクト

 

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  この市で、こんなアンケートをとったら、どんな回答が集まるだろう。

 「あなたは、自分の死後、どんな葬送を考えていますか。」

 「あなたの入る墓地はありますか。」

 

 七十歳を過ぎた人たちで、「考えている、準備している」と答えるひとは何パーセントぐらいいるだろうか。

 若い人たちは、そんなことは考えたこともないと言うだろう。

 しかし、世界は風雲急を告げている。若くても何が起きるか分からない。

 

 私はこの地に移住して15年、墓地なんか無い。

 「葬式は要らない。火葬後、散骨してくれ。」

と私は言っている。

 作家の小田実は、エーゲ海に散骨してくれと遺言し、十年後に妻がそれを実行した。学者の鶴見和子は、和歌山の海にと遺言し、弟の哲学者、鶴見俊輔はそれを実行した。先年、俊輔は亡くなったが、彼はどこに葬られたのだろう。

 

 「自然葬」と呼ばれる散骨は、遺骨を粉にして、自然の中に還す。

 自然葬を行った有名人では、ガンディー、ネール、周恩来、鄧小平、アインシュタインライシャワー、‥‥たくさんの人がいる。

 

 私は十年前ごろから、「樹木葬自然公園・子どもの森」を呼びかけてきた。そこに眠りたい人は、故人や家族の希望する樹を一本植える。遺骨はその周りに少量、土に埋める。元々から生えている樹の下に眠ってもいい。見事な花を咲かせたり、ほれぼれする巨木がその自然公園にあり、その樹に眠りたい、眠らせたい、とあれば、何人でもその樹の下に眠ることができる。その樹に眠る人たちは知らない人どうしであっても、故人の家族や子孫や友人たちは、その樹の下で出逢い、親しくなり、近しい想いでつながっていくだろう。

 そこにはビオトープもできる、小川も流れる。こうして、樹々は次第に増え、自然の森になっていく。たくさんの昆虫たち小鳥たち、小動物の暮らす森になり、子どもたちの遊び場、自然観察の場にもなり、子どもたちは、そこにかつて生きた人たちの魂を感じ、生命を感じる。

 そこは、みんなの憩いの場、心の癒しの場。

 ウォーキングをする人たちの格好の場にもなる。

 

 死者は生者によみがえっていく。

 死者は樹のなかに生きている。


 こういう「樹木葬自然公園・子どもの森」の構想を、国営、公営、あるいは志をもつ市民によって創れないものか。

 

 私は、その構想をかつて近隣の市町村の首長や担当課に伝え、呼びかけた。松本市長と大町市長と安曇野市担当課から返事もいただいた。

 構想は実らない。いくつかの集会でも呼びかけたが、核になる運動体をつくることができない。私の力が足りない。

 

 信濃の子どもたちの生活からも、自然が遠ざかっている。

 

 すべての人に、この世を去る日はやってくる。

 あなたは、どんな葬送を遺族に願うのですか。

 あなたは、永遠の眠りの場をどこにしたいですか。

 その場所の構想は決まっていますか。

 行政は、すべての人に訪れるこの問題をどう考えているのですか。