「夕映えのなかに」読後感想文<2>

 

 私たち夫婦が、奈良県の御所市に住んでいた時、裏の畑で家庭菜園をつくられていた井上さんが、拙著「夕映えのなかに」の購読をたくさんの人に薦めてくださり、そして読んでくださったそれぞれの人の読後感想を集めて、プリントアウトして送ってくださった。その一部を要約する。

〇歴史や地理の勉強になりました。子どもたちも、本を読み、「近つ飛鳥、遠つ飛鳥」に行ってみたいと言っています。(大阪八尾在住)

〇戦中戦後の大阪の様子が見えるようです。私は北海道から奈良に移住してきましたが、北海道の現住民のことなど、たいへん興味深く読みました。(保健師

〇ドラムカン先生の家に生徒たちが行って、大掃除をしたり、古き良き時代の信頼関係がとても素朴で、いい環境だったんですねえ。(岡山 教員)

〇万太郎さんは教育者であり登山家であったのですね。登山や林間学舎を通じて、自然に触れあい、生徒との信頼関係を築かれていることに感心しました。(大阪市職員)

〇万太郎さんはなぜ退職されたのか。私が考える理由は、「学力本位への時代転換」「塾通い」「時間外の触れ合いの減少」「規則やストレスの多い学校生活」「家庭環境の悪化」などで、信頼関係が結べなくなってきたことが原因ではないでしょうか。(奈良 中学生の母)

〇シンナーに溺れている生徒を山へ連れて行き、合宿を通して心身を回復させ、健康に導かれたのは驚きです。現在の教育現場では考えられないことです。(元高校教員)

 

 教育研究サークル「寺子屋」の仲間からのメッセージ

 「万太郎は『教師失格』とおのれに宣告して教員を辞めた。自己否定の重い宣告だった。

 教員は児童生徒を日々評価して生活している。成績の評価、生活指導面での評価、性格への評価、クラスや生徒集団の中での活動などの評価、それらの評価が教員と生徒の関係に影響を与える。好感の持てる子と持てない子、接し方の濃い生徒と薄い生徒

などの違いがそこから生まれる。靴のカカトを踏んでいる子に腹が立った。そのとき万太郎のなかには評価があった。そうした教師側の一方的な評価と指導が、教師と生徒の間の断絶を生む。同時に、生徒の側も父母たちも教師をシビアに評価している。感じ取っていると言った方がいいかもしれない。

 教師が教えている生徒すべてに慈愛をもって平等に接し、彼らの尊厳を守る。それが教師の責務だ。教育は困難な仕事だ。しかしまた心躍る楽しい仕事だ。」

 

 ぼくの小学校時代からの親友、柳一の奥さんの手紙から。

 「夫は酸素吸入器使用の生活でございます。『夕映えのなかに』を毎日少しずつ楽しみに、一緒に拝読させていただいています。夫は一人では外出できませんが、互いにいたわりあいながら、感謝と笑顔で、悔いのない余生を送っています。」