「ああ待ちわびぬ 小草もゆる 春よ」

この冬もっとも寒かった日は、マイナス13度ぐらいだった。雪はよく降った。
先週から合唱練習が穂高会館で始まり、暖房に石油ストーブを焚いても、部屋の温度はあがらない。
四月下旬から五月下旬にかけて、碌山忌や早春賦音楽祭で歌う歌は、早春賦の作詞者・吉丸一昌の童謡メドレーから、現代の合唱曲へとレパートリーは広い。
吉丸一昌は、小さな命を歌う歌が多いですねえ。吉丸一昌は、明治のころ日本の童謡への道を開いた人なんですよ。」
おなじみモンペに似たズボン姿の、指導者の西山さんが言う。吉丸の歌には、小さきものへのまなざしがある。
『故郷を離るる歌』(ドイツ民謡)の歌詞も吉丸が作った。
練習の歌のなかの『蛍狩り』『親つばめ』『春よ来たれ』、いずれも素朴な、童の心が生きている。


「ほ ほ ほたる来い 来−い 来−い 水をやろ
お前の水は にがいぞ 私の水は 甘いぞ
ほ ほ ほたる来い 来−い 来−い 水をやろ
    ほ ほ ほたる来い 来−い 来−い ここに来い
    あちらの土手は風が吹く むこうの山は鬼が出る
    ほ ほ ほたる来い 来−い 来−い ここに来い」


「軒に巣をくう 親つばめ 朝から晩まで えさとりに
雨の降る日も 風吹く日にも 子ゆえに迷う 西東
    つばさ休むる ひまもなく 一心ふらんに 飛び回る
    親の心を 子どもは知らず なぜにおそいと なきさわぐ」


「春よ 春よ 来たれ 野に山に
かすみよ 立て 野に山に
春よ 春よ 来たれ 野に山に
降れや春雨 野に山に
    ああ 待ちわびぬ 小草もゆる 春よ
    春よ 来たれ 野に山に
    春よ 来たれ 野に山に」


なんだかんだ言っても、小さな生き物は、春をまちわびて、動き出している。太陽が暖かい日、野を歩くと、大地から湧き立つかすみのように、ユスリカの仲間が顔にも頭にもまつわりつくように乱舞する。
風呂場の床を小さな黒いクモが、どこから入り込んだのか、ゆるゆる歩いている。
「お前、どこから来たんだ。ここにいると湯がかかるぞ。ここから出ろよ。」
声をかけて、とりあえず洗濯機の裏側に移動してもらう。
納屋の空き箱の底にゲジゲジがひそんでいた。
「冬ごもりしていたかい。まだ寒いね。」
庭に、ヒヨドリがよくやってくる。冬の間、寒さのために生育しないでいて、このごろ大きくなりだしたホウレンソウの列が庭に二畝ある。その一畝はビニールの覆いをしていなかったせいで、ヒヨドリの餌場になり、葉っぱはほとんど食べつくされた。
ヤマボウシの木の下に小麦をまいておいてやったのは、スズメと山バトの飢えをしのぐのに役立った。雪の降り積もっていた時は、ハトのつがいが雪をはらいのけて小麦をついばんでいた。小鳥たちもしっかり少ない餌場を記憶している。
今冬は「冬ごもり」という言葉を、自分の感覚で実感した。仕事や活動で外出することはあっても、畑の土に触れることには体が反応しなかった。最近になってやっと畑の手入れを始めたら、小草がびっしり土をおおっている。いつのまにやら春一番の草たちはもう花を咲かせている。ハコベオオイヌノフグリホトケノザ、それからそれから、よく名前の知らない草たちだ。イチゴの苗が、すっかり草に負けている。ここは草たちに退去してもらわなければならない。
冬の間は影も形も見えなかったスイセンが、あっちこっちから直立して緑の茎と葉っぱを伸ばし始めた。スイセンは毎年株を増やし、種類の異なるスイセンが少しずつ開花期をずらしながら咲き始めたら、庭は一挙に春の庭になる。
「ああ 待ちわびぬ 小草もゆる 春よ。
春よ 来たれ 野に山に。」