逃げよ、生き延びよ

車のライトにうっすら黒い影が浮かぶ。
道を横切る黒い影。
巌さんの家の裏、
ブレーキを踏んで、
見れば、
狐――。
後ろ足、萎え、
それでも後ろの両足そろえ、雪をけろうとする。
やせて、腰骨の出て、病める狐。
村人が話していた、皮膚病にかかった狐であるか。
風のごとく雪原を疾駆する力は失せて、
走るに走れず、
暗がりの中を消えていった。
脚力なければ獲物は得られず
この雪の中、死は待ち受ける。
今夜は南風つよく、氷点下にはならないと、
天気予報は伝えたが、夜半から雨になるか。
ぼろぼろな狐よ。
今夜は南風つよく、月は出ない。


上野千鶴子が書く、
「生き延びるための思想」、
上野千鶴子が思索する、人間の加害と被害。
理不尽な暴力に遭う。
ゆるせない、と拳をにぎりしめる。
けれども、くちびるをかみしめながら握りしめた拳を下におろしてしまう。
夫になぐられる妻も、
くってかかって反撃したりしない。
なぜか。
自分の無力さが骨身にしみているからだ。
反撃すれば、もっと手痛いしっぺがえしが待っていることを知っているからだ。
あなたが非力なら、
あなたは反撃しようとはしない。
なぜなら反撃する力があなたにはないからだ。
あなたが反撃を選ぶのは、
あなたにその力があるときにかぎられる。
そしてその力とは、
軍事力、
相手を、有無を言わさずたたきのめし、
したがわせるあからさまな暴力のことだ。
反撃の力がないとき、
どうしたらいいのだろう? 


逃げよ、生き延びよ。