15人の女子柔道の選手たち <2>

 日本オリンピック委員会は、15人の選手の名前を公表していない。公表すれば、たぶんいろんなバッシングが予想されるからだろう。所属団体や家族に迷惑が及ぶことを心配し、時期尚早であるという。柔道に打ち込んできた15人の胸のうちは、胸張って名前を言い、暴力を暴力と、不正を不正と、主張したい。勝つことだけにシフトした柔道ではなく、道をきわめることこそが柔道であると、実行したい。組織の中の選手だから組織の方針を待っているのだろう。
 今朝、80年代の日本女子柔道の創世記に活躍した、筑波大大学院准教授の山口香さんのインタビュー記事が載っていた。(朝日)
 そのなかで、こんな発言があった。
 「15人はかけがえのない仲間を得て、勇気を持って動いたことを誇りに思ってもらいたい」
 「時間がたつにつれ、彼女たちのことを、『何様なんだ』と言う人たちが必ず出てきます。今度は私たちが矢面に立って守ってあげなきゃいけない。柔道界をあげてサポートするという姿勢が大切です。訴えたことが悪いんじゃない。問題をすりかえてはいけません」
 「私は選手が自発的に起こした行動を見守り、自立するのを待っててあげたい。選手の自立を助ける。それがスポーツでしょう。選手は臆せず意見をはっきり言える人間に成長しているんです」
 「柔道界は強い者が絶対という思想があります。先輩後輩という関係もつきまとう。でも、本当に柔道を愛しているのは、強くなくてもずっと続けた人だと思うんです。そういう人を尊敬し、適材適所で力を発揮してもらう。キーワードは『リスペクト』と『オープンマインド』。強い弱いを越えて相手を尊敬し、広く開かれた組織になって多種多様な意見を取り入れる。そこから始めることが大切です」

 山口香さんは彼女たちから相談を受け、15人の胸のうちを聞き、彼女たちの側に立って行動を始めている。山口さんは、「リスペクト」という言葉を使った。RESPECT、人としての価値を認めること、尊敬。
 いずれ15人は、自らの意志で名前を明らかにするだろう。これだけの改革の糸口を作った人たちだから、チームを組んで、チームの力で、誹謗中傷、攻撃があろうともJOCの理解を得て、敢然と名乗りを上げるだろう。そのとき支援する人たちの輪も大きくなっていよう。
 男性と女性、強者と弱者、捨てる者と捨てられる者、支配するものと支配されるもの、力の関係と差別の構造。

      ★      ★      ★

 「祈り。無力な者の、最後の行為。行為とすら呼べないほどの、無力なつぶやき。
多くのものが、祈りながら無残に殺されていった。祈っても祈らなくても、受難はひとしなみに訪れた。
 わたしがフェミニズムを選んだのは、祈らずにすむためである。此岸(しがん)のことは此岸で。彼岸に渡らなくても、『神の国』を待ち望まなくても、ユートピアを夢見なくても、生きていけるように。
 理不尽な暴力や、不当な差別や、言葉にならない無念さを前にして、「ともに祈りましょう」と言えたらどんなにいいだろうか、と幾度思ったことだろう。だが、わたしはそのコトバを自分に対して禁句にした。
 フェミニズムはこの世の思想。この世を生き延びるための女の思想。人間が引き起こした問題なら、人間が解決できるはず。
 いま・ここで、生きぬくための方途を、ともに探ろう。
無力な者には、知恵と言葉が力になる。」 
             (「生き延びるための思想」上野千鶴子 岩波書店