授業『人間の歴史』



安曇野
麦畑の大麦の穂が一斉につんつん出ている。
麦茶用の六条麦がいちばん早く、穂がきれいに出そろっている。
小麦はまだ穂が出ていない。
稲田には水が入った。
カエルが鳴き始めている。
早い農家は、もうこの連休に田植えを済ませている。


五穀というのは、人が常食とする五種類の穀物のことで、米・麦・粟・豆・キビまたはヒエのことを言う。
人が常食にする穀物は、収穫してから脱穀という作業をする。
7年前、奈良で小麦を作った。
借りていた畑の物置小屋に、使われなくなった昔の足踏み脱穀機があり、
それを借りて小麦の脱穀をした。
足で脱穀機のペダルを踏むと、U字型のたくさんの金具がついたドラムは、カーゴカーゴと音たてて回転する。
ドラムに小麦の穂の束を当てると、突起の金具に触れた穂から、麦粒がバラバラと分離して、脱穀機の下にうずたかく積もっていった。
現代はもう足踏み脱穀機を使わない。
日本の農家ではほとんどコンバインで刈り取ると即座に脱穀をしてしまう。


穀物脱穀しなければならない、そのことに疑問を持ったことはなかった。
人間の食べる穀物は、実が穂にしっかり付いていて、少々振ったぐらいでは落ちるものではない。
だから、束にして運んでも、はざ(稲架)にかけて干しても、実は落ちない。
それゆえ、穀物を完全に確保することができる。
しかし、そのかわりに、脱穀という作業の一過程を必要とした。
穀物は、そういう性質のものだと、
なんの疑問も抱かなかった。


ところが、子どもたちが自分たちで考え発見する歴史の授業記録を読んで、
この常識の認識不足に気づかされた。
かつて小学校で教えていた久津見宣子さんは、「人間ってすごいね 先生」(授業を創る社)という著書で、
「人間の歴史」の授業を記録している。
驚嘆する十数年間の授業である。
そのなかにこんな授業記録があった。
実践は小学校5、6年生の授業である。


久津見宣子さんは、子どもたちと稲の栽培もしておられた。
『農業のはじまり――野生から栽培へ』の授業の中で、
まず、子どもたちひとりひとりに6種類の植物を配った。
エノコログサ、イヌビエ、カラスムギ、アワ、ムギ、イネ。
これは何?
そこから授業が始まる。
子どもたちは、わいわい図鑑などももってきて調べる。
エノコログサを振り回したりしているうちに、実がこぼれていった。
子どもたちは、実を口に入れて、どんな味がするかみてみたり、それぞれを比較してみたりして、
6種類の共通点と違いを、考え始める。
そして、エノコログサ、イヌビエ、カラスムギは、実がよく落ちることに気づく。
よく落ちるのは草の実なのかな。
エノコログサとアワを観察すると、形のうえで似ている点が多い。
子どもA「きょうだいみたいなもんかな? ちがうところがあるけどね、そっくりだから。」
子どもB「エノコロは種が落ちる、アワは落ちない。」
子どもC「粒が大きいのと小さい。」
子どもD「粒の数が多い、少ない。」
そこで宣子先生は、アワの先祖はエノコログサであることを説明するのだが、
子どもたちは半信半疑。
どうやってこんなに小さな種のエノコロを、昔の人は食べていたんだろうとさらに疑問が深まり、
子どもE「こんなに実が落ちて、ちっちゃいし拾えないじゃない。そしたら食べられないじゃない。」
子どもF「とるとき落ちる。」
袋をあてて、とるんだとか、落ちる寸前にとるんだとか、
大きいのをよく見てとるんだとか、
盛んに子どもたちから意見が出る。
ああでもない、こうでもないと想像をふくらませていくうちに、
大きい実をとっておいて、それを種にしてまくと、大きい実がとれるようになるのじゃないか、
すぐに実が落ちるのではなく、落ち方がちょっと少ないのをとっておいてまくと、だんだんそうなるのじゃないか、
こうして議論は、何千年の栽培の歴史で繰り返されてきたことが、次第に大きな実、しっかりして落ちない実になっていったのではないかという考えになっていった。


人間の栽培の歴史は、収穫量や栽培・収穫のしやすさ、などいろんな進化に稔っていった。
子どもたちの感想。
「現代人より、このころの人たちの方がほんとうの努力をしたのかもしれない。
それは、今使っているたべもののもとになるものは、ほとんどこのころ発見されて作られているし、
道具やなにもかもたくさん発明されているからだ。
きっと生きていくのに、いっしょうけんめいだったのだと思う。」
「ある人が実を運んでいるときに、それが落ちて、ひと粒が何倍にもふえてきっとよろこんだだろう。
こういうことから植物を栽培することがわかって定住するようになった。
そして村みたいになり、国のように大きくなったのだろう、と考えたら、
農業はそれからあとの時代に、大きなえいきょうをあたえたと思った。」


宣子先生。
「数千年以上かかって、たくさんの人びと、どこのだれだかわからない人びとが、代々育て、伝えてきて、
エノコログサを今のようなアワに変えてきました。」
子どもたちは、みんなでアワモチを食べ、授業は終わった。