コーヒー、生豆を焙煎して飲むうまさ


ゴーヤの茂る、緑のカーテン



買ってきた焙煎済みのコーヒー豆を、手回しのミルでゴリゴリあら引きにする。
膝の上にミルを置いて、いっときの粉引きの手作業が楽しみ。
熱い湯を注いで2、30秒蒸らしてから、糸を引くように湯を回しいれてたてたコーヒー、
その香を嗅ぎ、ごくりと味わい、ほっとくつろぐ。
お昼の食後の楽しいひとときです。
でも、味がもうひとつなんだなあ。
やはり焙煎から家でやってみたいと、家内が言い出し、
コーヒー豆を煎るために、焙烙(ほうろく・ほうらく)を見つけてきてほしいと依頼されました。
水仙が満開の頃でした。
それから一ヶ月間の研修所の仕事で出かけましたとき、梅の花咲く岐阜の町でも探しました。
旧街道沿いの商店街の、昔ながらの荒物屋にはあるかもしれんと行ってみたら、
「おやじさん、ほうらくないかね。」
「ある、ある」
と言って、何がどこにあるのか分からないほど、どえりゃあ数の雑貨が雑然と置かれた中から引っ張り出してきたのを見ると、なんだ、金属製だ。
「素焼きでできたほうろくだよ。」
「そんなもん、今時ありゃあせん。」
おやじさんは急にえらく不機嫌になるや、怒り出し、
偏屈おやじの商売下手に、恐縮してあやまる店の娘さんに会釈して店を出ました。
ここになかったら、ホームセンターなんかでは見つかるはずもないなあ、
と思いながらも大型店で訊くとやはり、ありません。
同僚の望月さんに話したら、
「私がよくお参りする石切さんの参道にあるかも」
とのこと。
望月さんは大阪の人、願かけの人がたくさんお参りする石切神社の参道の荒物店にはあると思うと言うのでした。
桜が咲き出した春日、研修所の仕事が終わって我が家に帰ってきて一週間ほどしたら、望月さんから石切さんで手に入れたというほうろくが送られてきました。
ほんまに赤土色の素焼きそのもの、
円盤型の真ん中が少しへこんでいる浅い土鍋です。
昔は、これで大豆なんかも煎り豆にしました。
家内は早速通販で、生豆を取り寄せました。
専門の店があるんですなあ。
空気が入らないように密閉した生豆、
それをほうらくで家内が煎る。
煎り方はインターネットにいろいろ載っています。
タイムと豆の色などから判断しながら、
最初は浅煎りでコーヒーを立てた、
こりゃものたりないね。
それからいろいろ煎り方を変え、
次第に深煎りしていくと、
ああ、これぞコーヒーなり、
えも言われぬ香が、ミルを引くと漂いだし、
熱湯を注ぐと、ふくよかな香、
味の深さにまろやかさ、
「この豆は、そんなに高いものではないよ。」
という並のものでも、焙煎からのコーヒーはおいしいものでした。
茨城のり子の詩を思い出します。
「日曜日の朝、コーヒーの香が流れ、」
戦争が終わって、コーヒーを飲める日のやってくるのを心待ちにし、
平和の日の到来を寿ぎながらコーヒーの香を嗅いだ、
その香を、今ぼくたちは味わっています。