領土というもの

1965年、ヨーロッパを出発してインド目指して旅をした。ユーゴスラビアギリシア、トルコ、シリア、ヨルダンを旅してエルサレムに入った。当時エルサレムは、西側がイスラエル領、東側がヨルダン領になっていて、二国の間はどれだけの距離が開いているのか、数百メートル、いや数キロメートルはあったろうか、無人地帯になっていた。ヨルダン領側には、高いコンクリートの壁が築かれ、それにさえぎられてイスラエル領を見ることができない。壁の向こうをのぞくことは禁止されていた。辺りには人の姿はなく、ぼくは好奇心にかられ、壁のそばにあった木の台を使ってよじ登り、イスラエル領をのぞいた。無人地帯はまさにゴーストタウンであった。石の家はるいるいと広がっていたが、猫の子一匹動くものはいない。その時、どこから現れたのか壁の下に一人のヨルダンの兵士が立っていてぼくは捕まり、詰所に連れていかれた。幸い軽い尋問と注意だけで釈放してくれた。
それから二年後に第三次中東戦争が起こり、ヨルダン領エルサレムは、イスラエル領になった。イスラエルは占領地に、多くのユダヤ人を入植させ、現代に至っている。
紀元前からユダヤの国とユダヤ人は、激動の中を生きてきた。紀元後ユダヤはローマに破壊され、人々はパレスチナを追われて、世界に離散した。迫害の歴史を経て、19世紀、ユダヤ人はふたたびパレスチナの地に、自分たちの国を建設しようと、シオニズム運動を起こし、パレスチナとの戦争によって領土を獲得して、イスラエルは生まれた。しかし、イスラエル建国は、アラブとの新たな紛争の始まりだった。

 世界を放浪し、差別の対象であった民族にロマなどの人々がいる。ジプシーと呼ばれていた人たちだ。9世紀ごろインド北西部から出てきた人たちの子孫といわれ、音楽や踊りを好み、伝統的な職業、技術、文化を持っている。
 この人たちを追って旅をし、その人たちと交流し暮らしたことのあるジャーナリスト伊藤千尋氏がこんなことを書いていた。
 「自由の貴重さをうたったフランスの哲学者ルソーは、『人間不平等起源論』のなかで、土地に囲いをして私有地を宣言したものこそ諸悪の根源であるとし、『果実は万民のものであり、土地はだれのものでもない』と断言した。ジプシーの生き方は、このルソーの思想を地で行くものである。さらにルソーは『社会契約論』で、『人間は自由なものとして生まれた』と高らかに宣言している。自由を求めながら、欲にかられて自ら自由を失う現代の世界。最低限のものしか持たずに旅をし自然の中で生きるジプシーこそ、自由という言葉を最もよく理解している人々かもしれない。」(「ジプシーの幌馬車を追った」大村書店)

現代では、放浪移動する人たちもいるが、多くのロマなどの人たちは定住してその国の民になじんでいる。それでも彼らの文化は保持し続けている。