感情が狂わす人間関係


 若輩教師のころ、夏休みが終わって二学期が来た。陽に焼けたA子に、「黒くなったね」と声をかけた。するとA子は、「先生なんか嫌い」と言って、ぷいと行ってしまった。親しみをこめて言ったのに、どうして腹を立てるのかと、今度はこちらが不愉快になった。ぼくの不愉快と、A子の不愉快は、なかなか解け合わなかった。「黒くなったね」という言葉に悪気はない、自分は思ったことを言ったまでだ。ところがその子にとってそれは気にしていたことだった。それを先生に言われてショックだった。そのことに思いが至らなかった。
 関係悪化の悪循環におちいると、関係を改善する糸口がつかみにくくなる。人間関係がうまくいかないときは、相手に対する自分の感情が許さない。意地が働くのだ。意地を突っ張る。教師と生徒、親と子、夫と妻、恋人同士、友人同士、同僚同士、生活の中で関係の近い二者の間で、ひょんなことで悪感情の振り子がチックタックと動いてしまう。そして、どんどん関係が悪化して、好ましくない結末に至ってしまう。

 おもしろいエッセイがある。串田孫一がこんな経験を書いていた。

 串田孫一が古本屋に入って書棚を見ていると、二十年ほど前に出した自分の本が見つかった。串田はそれを買った。
 串田は以前、一冊だけ自分用にとっておいた本があった。それをどうしても読みたいという人がいたから、貸してあげた。ところが、四、五日で返すということだったその本は返ってこない。串田は催促しようかどうしようか、不愉快な気分になった。けれど結局、串田はあきらめて、古本屋で見つけたら買おうと気持ちを切り替えた。そうして見つけた本が古本屋の本だった。自分の手元になくなった本を補充できた串田は、それまでの不愉快な気持ちが解消したと思った。 
 ところがである。電車に乗って、古本屋で買った本を開いてみると、しおり代わりに使ったらしい名刺が出てきた。それを見て驚いた。本を貸した相手の人のものだったのだ。
 さては、あの人は、借りた本を返さずに、古本屋に売ったのだ、そう思うと、ひどい奴だと腹が立ってきた。あんな奴、信用できん。
 そこからまた串田の気分は二転三転する。
 少なくとも、名刺がはさんであったところまでは、読んでくれたのかもしれない、いつまでも不愉快でいるのはやめよう。だが、そうは思っても、腹の虫はおさまらない。家に帰って、その名刺を破り捨てようとし、はがきを取り出すと、彼に手紙を書くことにした。串田は、「貸した本を返してほしい」旨を柔らかい文章で書いて、速達にして投函する。はがきを受け取った彼は何を思い、どうするだろう、もうその本は出版元がつぶれていて手に入らないぞと、意地の悪い楽しみに串田はふける。
 ところがところがだ。
 速達を受け取った彼がやってきたのだ。「すっかり長引いてなんともすまなかった」と、本を持って返しに来たのだ。返してくれたのは、間違いなく串田の貸した本であった。
 そして、串田はこう文章でそのエッセイを結んだ。
 「疑ったことは密かに謝罪したが、彼の名刺がしおり代わりに入っていた本を買ったことは、未だに話していない。」

 さてさて、これでは謎は解明できていないぞ。あの古本屋で見つけた彼の名刺を挟んだ本と、返しに来た人との関係はあるのか、ないのか。これは推理するしかない。串田も推理したと思う。古本屋に売られた本は、彼がどこかに置き忘れたか、紛失したかした本で、途中までしか読んでいなかった。続きを読みたいと思っていたら、串田孫一の家の書棚にあったから、借りて帰った。
 もし串田が、古本屋で彼の名刺を挟んだ本を見つけて買ったと彼に知らせれば、謎はすべて明らかになっただろう。本を返しに来た彼に、そのことを秘密にせざるを得なかったために、謎は残ってしまった。
 それでも、二人の間の感情のもつれは、一応解消した。

 不信感や嫌悪感、反感やとがめる気持ち、人間の関係を壊す感情のもつれは、だれでも体験する。それがどんどん悪化して泥沼に入ると「離婚だ」「絶交だ」「無視だ」となる。
 A子の場合、彼女は先生から言われるまでに、誰かから、「まっ黒」とか言われていたのかもしれない。気にしていたのに、先生にまで言われた。そのことをオープンにする場を両者が持つことができたら、すなわち隠されている気持ちのひっかかりを明らかにして共有することができたら、関係の悪化はすぐに解消できただろうに。