ヒュッテ・コロポックル

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 蓼科からの帰り道は、霧ケ峰からビーナスラインを美ヶ原に向けて尾根道のドライブをし、松本に下ることにした。

 霧ケ峰の車山の肩には手塚宗求さんのヒュッテ・コロポックルがある。手塚さんは健在なりや。もうかなりのお年だったから亡くなられたかもしれない、なんとなくそんな気がする。

 行ってみよう、手塚さんの山小屋へ。

 イングリッシュガーデンを出て、白樺湖を経て車山に上っていくと、八ヶ岳の右手奥に富士山が見えた。車山の肩に到着したら、山小屋コロポックルの姿が見えない。かつてここにはコロポックルしか建物はなかった。それが今、食堂の建物ともう一つ別の建物が建っていて、さらに山小屋のあったところに循環式のエコトイレがいくつか、むき出しのままに並んでいる。まったく異様な風景だ。どうしてこれらのエコトイレを、この自然環境に調和させる工夫をしないのか、周囲に木々を植えて霧ケ峰の景観を破壊しないようにしないのか、と一瞬思った。

 こういう無神経なことが行われているということは、山小屋コロポックルはつぶれたのかもしれない。

 ぼくはトイレの方へ近づいていくと、トイレの向こうにコロポックルが山にうずくまるように、ひそやかにモミの木々に包まれて存在していた。小さな木の立札がオープンしていることを示している。手塚さんは、ここに小屋を建てたとき、防風林にモミの木を植えた。それは今も健在だ。手塚さんは若いころから登山とスキーの指導員としても活躍し、また随筆家としても、多くの著作を出版してきた。ぼくはそのほとんどを愛読した。

 「霧ケ峰通信」冒頭にこんな文章がある。

 「昭和三十一年の夏、霧ケ峰の車山の肩にわずか十坪にも満たない山小屋をつくって暮らし始めた。私は二十四歳だった。その秋、串田孫一さんをお招きしてささやかながら山小屋開きを行なった。このこじんまりとした床面積の上に、どのように知恵を絞っても、人を休息させ、人を眠らせる部屋や、ものを煮炊きする場所が十分に得られるはずのものではなかった。」

 土間にストーブをすえつけ、その隅の一坪が炊事をする場所だった。結局寝室として残されたスペースは三坪だった。そこに二段ベッドをつくり、なんとか八人ぐらいが横になれるようにした。手塚夫婦と客の寝床だ。

 「どうしてあんな風にごく自然に、なんのためらいも、こだわりもなく、私たち小屋の者と行きずりの人たちが肩をつけあって眠ることができたのか。今はなつかしくも不思議にさえ思えるのだ。」

 「しかし、不平不満の言葉をついぞ聞かなかったのは、むしろ全く未知な山小屋の生活体験から得るものの方が多く、山小屋とはかくも不自由で苦しいものだと思いつつも、それを帳消しにする何かが、心を豊かにさせたからであろう。

 ランプが二つ、布団が数組、目ぼしい家財はなかったが、手回しの蓄音器が南に開いた窓辺にあった。」

 貧弱な条件のなかで、手塚は山小屋の看板をあげた。ただただ若く、切ないほどに純粋だった。往復六百メートルの渓の水場から飲料水を担ぎ上げてくる。一日に十数回の水汲みも、貧困や自然の過酷さも、すべてを与えられたものとして甘受した。

 このような小さな小屋なのに、文庫をつくりたいと手塚は思う。串田孫一から贈られた何十冊の本を置く本棚をつくり、手塚はそれに「コロポックル文庫」と名付けた。

 ところが昭和三十四年、日本を襲った伊勢湾台風は、この山小屋を壊滅させた。

 「私は、全壊した小屋の床に散乱した本を拾い集めた。本は水を含んで泥の中にうずまっていた。私は一冊一冊を、瀕死の重傷を負った小児を抱きかかえるような気持ちで拾い集めた。」

 それらの本のうち、手塚が最初に取り上げたのは「若き日の山」だった。串田の本の次の一節を手塚は愛していた。

 「私は遠い他国へ来ている気持ちになって、シベリアの冬を考えてみたり、カナダの田舎を想ってみたりする。その時私は十四歳になってわずかしかたっていなかったが、どういう加減か老人の心持ちが分かってくるようだった。誰から見はなされたのでもなく、ただ自分から一人だけの居場所を見つけて、こうして火をいじりながら冬の夜を過ごしている老人が、この地上にはどのくらいいるか知れない。彼らはそれほど疲れているわけではないが、その一種の宿命的な、自ら選ばざるを得なくなった悲しみをこらえながら、半ばそれに慣れた顔つきで、燃える火を見つめている。彼らが何を考えているか、それが私には分かるような気がする。」

 手塚は、この独りだけの居場所を見つけて、火を見つめながら冬の夜を過ごしている老人こそ、山小屋の老人のイメージだと思う。そして老人に出会うたびに、いつも老人の座に自分を置き換えてみた。

 「私にも老人の気持ちがよく分かるような気がした。」

 

 ぼくは風雪に耐えてきたヒュッテコロポックルの中に入った。(つづく)