子どもの遊び研究


            (マッチをすって火をおこす)

<学校というハコと、家庭というハコ、この二つのハコのなかで、現代の子どもたちはほとんどの時間を過ごす。学校と家庭の外に広がる世界には、子どもの遊ぶ姿はない。子どもたちの喪失した世界とはどんな世界だったのか。>

      研究 (1)くぎさし

 マアちゃんは一歳上、兄のカッちゃんは二歳年上、ヒロミちゃんは二つ年下、そして小学4年生のぼくの4人は、学校から帰ってくると、ぼくの家に集まって遊び始める。遊びの種類は無尽蔵だった。ぼくの家の前庭は、キャッチボールもできる広さがあった。
 「くぎさし、しよ」
 誰かが言う。しよ、しよ、とすぐさま決まる。ぼくらは五寸釘を探してきて、庭のひとところに集まった。長さ15センチの古釘はさびている。この遊び、技は地面の一点に釘を突き刺す命中の精度だ。五寸釘の先端の頭を親指と人差し指でつまみ、腕をあげてヤッと振り下ろす。釘は半回転して、地面の土に尖ったほうを下に突き刺さる。
 遊びの一つは「くぎたおし」。じゃんけんで順番を決め、最初の一人が釘を一点に打ち込む。次の子は、突き刺さった相手の釘を倒そうと、相手の釘のきわに自分の釘を打ち込む。チャリンと音を立てて相手の釘に打ち当たりながら、釘は土に突き刺さる。こうして釘を突き刺す角度を考え、相手の釘が倒れるように、交代で釘を刺し合っていくのである。相手のが倒れなかったら、相手は自分の釘を引き抜き、ぼくのをねらって突き刺す。相手を倒して勝つまで勝負する。これは二人のペアでやった。
 次の遊びは複数でやった。「封じ込め作戦」とでも言えようか。三人なら三角形、四人なら四角形を、てのひらほどの大きさで地面に釘で書く。その頂点をそれぞれ自分のものと決める。そこが自分の出発基地である。順番を決めて、釘を自分の頂点の近くに突き刺し、すぐに釘を引き抜くと刺した跡の小さな穴と自分の頂点を結んで線を引く。これも自分の釘で土をひっかく。交代しながら順にこうして突き刺しては前の突き刺し穴とを結んで、折れ線グラフのように伸ばしていく。他のものは相手の線をまたいでいくことはできない。相手の線が立ちふさがると、それを避けて、狭い空間を通り抜けようと考えて進む。取り囲まれると外洋に出られなくなる。作戦は、相手が外洋に出られないように、三角形、四角形の間近に打ち込んで線をつないで、封じ込めることである。
地面をアリが歩いている。アリをよけて、釘を放す。尖った先端が土にぶすりと突き刺さる。この感覚の気持ちよさ、技の高まりの満足感。投げる角度、姿勢などで、釘の刺さる角度が変わる。物の理のあることが体を通して分かった。
 この遊びは、作戦を考え、釘の刺し方の技術を高め、難度にチャレンジするおもしろさがあった。釘の一方をもって、対象物に打ち込む技術は、手裏剣の技に通じる。自分で自分の足を突き刺さないかと親が心配するなんてことは一切なかった。遊びにはいささかの危険が伴うもので、それを自分でわきまえることを、遊びの錬度とともに子どもは身につけていった。危険予知と危険予防の力だ。五寸釘という大きな釘、それもまた遊び道具だった。五寸釘がないときは、もう一つ短めの釘でも遊べた。短くなれば、投げ方をそれに合うものにする。それは自由自在にできるようになった。手になじんだ遊び道具は、やがて道具として生活をつくる技術につながっていった。工作力である。
 子ども時代に身につけた技は年を取っても体に保存されている。今も投げれば、五寸釘は、ぶすりと土に突き刺さる。