夏休みの子ども


                     


夏休みに児童館に来て遊ぶ子どもたちに、指導員のほうで用意する企画の準備会があり行ってきた。
昼間は子どもだけになる家庭の小学生の遊びスペースを、行政で保障し子どもの安全を守る、
そのひとつとして児童館が全国的につくられた。
昔夏休み、子どもたちは大人とはかかわりなく子どもたちで遊んだものだ。
川で遊び、林で虫を追い、空き地で草野球をし、一日遊びほうけた。
しかし、現代社会では家庭での子どもの生活に危惧すべき点が多くなり、さらに地域の子ども集団がなくなってしまったから、児童館のような施策が必要となった。
子どもたちは、遊びのなかで自然を体験し、自然から学ぶことをどんどんしなくなった。
子ども集団のなかで、競いあい、助け合い、もまれて、社会性を育てることが乏しくなった。


夏休み、児童館に来る子どもたちに、何かこちらで準備する企画はないかなあ。
子どもたちは自分たちで自主的に遊ぶのが基本で、プラス何か特別企画を大人のほうで考えておく。
魚釣りをさせてやれないかなあ。
犀川や烏川までは遠すぎて、引率して連れて行くことは無理だろうが、この近辺の農業用水路で魚釣りできないかね。
この横の水路にも、マスもいるようだで。
犀川の合流点近くの万水川まで行けば、魚はいますがね。
釣り道具はどうする?
釣り道具は、私の家に何本もあるだ。
しかし、水路の管理をしている組合や小学校は、水路に近づかないようにと指導しているかもしれませんね。
柵もつくってあるしね。
大人が安全対策をとって、見守ればいいと思うがね。
これは調べる必要がありますね。
私らが子どものころは、溜め池でも川でも泳いだものだがね。
これだけの水路を、水田のためにはりめぐらしてきたけれど、子どものためには、水遊びの場所は何一つ残さなかった、つくらなかった。
学校にプールが出来たから、それでいいと。
たいへんな間違いですよ。
子どもから奪ってしまったものは大きいねえ。
結局安全安全と対策をとればとるほど、危険を予知して危険に対応する力がつかないんですよ。
子どものころに、豊かな自然体験をしてきた子どもと、していない子どもとでは将来に差が出てくるというデータがTVで報告されていましたね。
日本の子どもとアジアの途上国の子どもとは、大人になってからのバイタリティや創造性に差が出てくると思いますよ。
創造性という点では、日本の大学の工学部希望者が年々減っているのも、将来心配だよ。
才能を持っている人が工学部へ行かない。
日本の科学技術がどうなるか、これはたいへんですよ。
この前の、宇宙探査ロケット「はやぶさ」、7年ぶりの「イトカワ」からの帰還、
そういう科学技術力を養っていけるかですね。
子どものころ、五寸釘を土に打ち込む、「釘さし」という遊びがありましたね。
五寸釘を親指と人差し指ではさんで、腕を振り下ろす。大釘は、土に突き刺さる。
子どもたちが自分たちで生み出してきた遊びは、人間の微妙な感覚を鍛えたものです。
竹馬、竹とんぼ、竹鉄砲、水鉄砲など、竹や木、土を使って何かを作る、
川や水路でいかだ遊びとか、あの倉本聰の「北の国から」に出てきた富良野の川下り。
水田で、何種類の動物を捕まえられるか、というのはどう?
水生昆虫、どれだけいるかねえ。
稲を植えないで、農薬も一切まかない水田を一枚、地域の学校の子どもたちのために残しておくということが大事なんじゃないかな。
そして子どもたちが泥田に入って虫の観察をする。
船とか飛行機とか、それを手作りできるとおもしろいんだが。
ペットボトルでロケットを作ったことがありますよ
へえ、それどうやって?
自転車の空気入れで空気を圧縮してね。
おもしろそうですね。
既製品とか、既製の材料ではなく、自然素材をつかって何かを生み出すものないかな。
それが五感を耕し、指の技を発達させ、ものの性質を知って、創造力を養うことになるんだが。
工作と自然体験、何か名案はないですか。
じゃあ、次の準備会までに、何がやれるか、何を準備すべきか、研究してきましょう、
となって宿題。
子どもの遊びを考える高齢者、なんだか逆転している感じもする。
子ども時代自然体験が豊かだった人たちは、みんな高齢者なんだ。