暗く寒い日に歌う

陰鬱な日だった。雲低く垂れ込め、寒気しんしんと身にしみた。今朝あいさつを交わしたご婦人はちょくちょく出会う人で、オミソという名前の犬を連れて、ウォーキングはいつも暗いうち、オミソに催促されて出てくるのだという。オミソという名前がおもしろいというと、
「ハハハハ、毛並みがオミソの色だから」
と、ちょっとユーモアのある人だった。
ぼくが、からかいぎみに、
「信州生まれ、信州育ちの人は、寒さはへっちゃらでしょう」
と言うと、
「とんでもないです。私は冬が大嫌いです。寒いのもういや」
その率直さがおもしろくて、大笑いした。いつもオミソに引っぱられるような感じで、夏から秋は、朝露のしとど降りている草の道をすごいスピードで歩いてこられる。
「朝の草の道は、足が濡れるでしょう」
と言うと、
「もう足びしょびしょ」
と言いながら笑い声。
じゃあ、草の生えてない道を歩けばいいのにと思うのだが、その草の道が気に入っておられるようで、「いい道を発見した、いい道を発見した」と、すれちがいざまおっしゃった。
今朝の氷雨ちらつく道、あいさつを交わしてぼくが言う。
「ドイツでは、冬の初めのこんな日、うつになる人が多いらしいですよ」
「そうでしょう、わたしもなりそう」
とご婦人は頭をかくんとお下げになった。
冬が長い北国では、この暗い寒さを防ぐのは、火、暖房、そして家族だろう。孤独は厳しい。日本の北国もそうだが、欧米の北の国も、火、暖房、家族、そして冬を乗り越える装置も用意されている。冬を乗り越える装置というのは、村人たちの集いや祭り、教会での集まりなどだ。
体の寒さに心の寒さ、それがこたえる。

午後、「早春賦を歌う仲間たち」の合唱練習だった。穂高会館へ行く。今度1月の13日、市の成人式で歌う歌の練習だった。指導者の西山さんは、時機を見てこの合唱団の名称を「早春賦誕生100年記念合唱団」にしましょうと言う。
今日の日は歴史では、昭和16年真珠湾攻撃、日米開戦の日だ。発声練習で、「里の秋」を歌った。1番2番と歌ったとき、急に西山さんはピアノを弾くのをやめて、「今日は日米開戦の日です。この歌の3番は戦争が終わってから作られました」という話をした。父さんはまだ戦地の南に国に出征したまま帰ってこない。3番の歌詞は、その父を待っている。
今日の練習は、「耳を澄ませてごらん」「故郷を離るる歌」「浦のあけくれ」「夕べの鐘」、そして「早春賦」だった。
みんなで歌う、これもまた孤独と寒さをいやす装置だ。少し元気になった。