田舎のモーツァルト音楽祭

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  一昨日、穂高東中学校で開催された第21回「田舎のモーツァルト音楽祭」に行ってきた。今年の生徒たちの演奏の最後に行われる、生徒と来場者全員による合唱は「大地讃頌」だった。7年前に参加した時は、全生徒と来場者による合唱は「レクイエムから」だった。

 我が家族はこの歌が大好きで、妻は、今年は参加して「大地讃頌」を歌いたいと言う。そこで、ユーチューブの中の合唱を聴きながら事前に何度か練習して臨んだ。妻はソプラノ、ぼくはバス。

 何年か前、「早春賦音楽祭」で「大地讃頌」を歌う集いがあり、ぼくも穂高町の早春賦合唱団に入って練習したことがあった。その下地があったから今回もなんとかパートを歌うことができた。

 第21回「田舎のモーツァルト音楽祭」、ということは、21年間続いてきたということだ。そのきっかけが一人の詩人の詩だった。

 尾崎喜八は1960年ごろ、穂高中学校の校舎の近くを歩いていた。すると、教室で音楽の授業が行われており、若い新任の女の先生がトルコ行進曲を演奏している。生徒たちは演奏に聞き惚れていた。校舎の外に立つ尾崎喜八は、その感動を詩「田舎のモーツアルト」に書いた。そしてその詩がこの地で音楽祭として花開いた。

 第21回の音楽祭の体育館に入った。生徒の席は会場の前半分、その後ろに地域の小学校の六年生が座った。この子らは来年、この中学校に入って、この音楽祭を作ることになる。小学生席の後ろは、父母や市民の来場者席だ。

 生徒のピアノ演奏が何人か続いて、締めくくりの「大地讃頌」がやってきた。全生徒は座っている椅子を逆にして、全員が来場者のほうに向いた。その前に生徒の指揮者が立った。

 そして全員合唱が湧き起こった。だが歌う来場者は少なく、生徒の歌を聞く人が多かったようで、ぼくらは声を出して歌ったが、控えめの声になった。

 第二部は、プロのハープ演奏と手回しオルガンの演奏だった。

 

 歌う人がもっと多くなれ、と思う。