熊出没、「早春賦音楽祭の本ステージ」


 つい先日、5時過ぎに起きて、ランを連れて野を散歩していると、パトカーが警告灯を点滅させながら走ってくる。なにやらスピーカーで話しているが、言葉の最後「家にお帰りください」だけ耳に止まり、何々、何があったんだ。パトカーは途中で曲がっていった。何があったのか分からぬまま歩いていくと、今度は市の広報車が来た。いったい何だ。
「熊が目撃されましたのでご注意ください」
 ははあ、そういうことかと、それにしてもこんな人里まで熊は下りてくるもんかと辺りを眺め回し、もしそうならよほど食べ物が無いんだなあと、半信半疑のまま散歩を続けた。しばらくするとまた一台のパトカーが来た。乗っていた二十歳そこそこに見える二人の警官に話を聞くと、穂高地区の山麓部、塚原公民館の辺りで目撃されたのだという。そこならいつも散歩で通るところだ。今朝もそこを通る予定だった。
「ほんとうに熊だったんですか。」
「目撃者は、犬ではなかった、黒くて大きかったというのですがね。」
 ほんとのところは分からないが、安全の確保のためとなると、警察も市役所もすばやい。結局、熊騒動はそれきりだった。

 カッコーが鳴きはじめた。よく響く声が、野原の遠くから聞えてくる。
 5月4日の、アルプス公園での「早春賦音楽祭」につづき、20日の日曜日に、「早春賦音楽祭の本ステージ」が、穂高会館で開催された。木曜日の夜や土曜日の午後に練習を積んできたとはいうものの、まだまだ完成していない合唱のままに、8人の男声合唱団メンバーにぼくも加わった。前日に会館ホールに椅子を並べたり、ステージにひな壇をつくったり、それらも男声合唱団のメンバーが行ない、30人ほどの女声合唱団のほうは、当日のお昼ご飯にカレーライスをつくってくれた。
 少年たち、若者たちの育つ場にと、企画されたこのコンサートには、地元の六つの小中学校の合唱部に、アマチュアのバンドが二つ参加し、そして「鐘の鳴る丘・有明高原寮」の12人の少年たちが加わって、コンサートは重要な意義を響かせるものとなった。「有明高原寮」は、囲いのない少年院であり、自由に外へ出ることができるという珍しくソフトな施設環境のなかで、少年たちは一時期自分の生き方を見つめ、過去を振り返り、未来に生きる力を育んでいる。
 歌「早春賦」が生まれて99年、来年は100年を迎える。冬の厳しさを乗り越えて、春を待つ心を歌ったこの国民的な愛唱歌は、安曇野で生まれた。コンサートは、500人ほどの観客と一緒に「早春賦」の大合唱から始まった。曲目は多彩だった。小中学校児童生徒は100人ほど、バンドや楽器演奏の若者が10人ほど、そして高原寮の少年たちに、高齢の「早春賦合唱隊」が40人ほど。会場全体を、大きな「歌声喫茶」にしようと言っていたのは指導者の西山さんだった。
 「安曇野」「ふるさとさん」「平和の鐘」「はじめの一歩」「この地球のどこかで」「バラが咲いた」「Let's search for tomorrow」‥‥、歌われた歌は30曲はあっただろうか。
 フィナーレに、「翼をください」を高原寮の少年たちと一緒に歌い、歌の最後に少年たちが作ってきた紙ヒコウキをステージから歌いながら飛ばした。幕は「ふるさと」の合唱で閉じた。
 田舎のこの地に、生き続けてきた音楽祭、「囲い」のない少年院を出発して戻っていく少年たちの心に、歌は生き続け、歌とともに彼らを励ました地域の人たちの心がよみがえることを願う。
 3ヶ月ほど練習してきたこの期間、練習に出かけて行くのが少々しんどくなり負担にもなることもあった。一人の情熱にあふれる指導者が、コーディネートも歌の指導もすべてを仕切っていくというやり方にも限界を感じた。が、この文化活動の価値は高い。もう少し集団として組織的に知恵と力を寄せ合って必要な変革をしていかねばならないと思う。